『人間失格』(太宰治著)の感想の余談として、公開が危ぶまれた映画もとても気になると書いたが、運良く自宅にいる時間が圧倒的に増えたタイミングで観ることができた。
このブログでは基本的には本の感想しか書かないのだけれど、この映画は、ここがいい! と声を大にして言いたいポイントがいくつもあって、是非とも感想を書いておきたいと思った。
あと、引きこもり生活になってから、というかおそらく「先が見えなさ過ぎる不安」が常にどこかにある状態で文章の世界に入り込む行為が私にはうまくできないようで、自動的に流れていく映像ばかり見て読書からは少し離れた日々を送っていることもあって。
まあともかく書いてみる。
(以下、敬称略)
まず何と言っても、蜷川実花監督が創り出す独特の色味がとにかく美しい。昔好んで使っていたロモというアナログカメラを思い出すノスタルジックな色彩と強すぎるくらいのヴィヴィッドカラーが混ざり合い、効果的に目を奪う。
とくに室内の映像が素晴らしい。
ただ薄暗いのではなく、ぼんやりと滲んだような電球の橙。窓明かりの緑。部屋にある家具とか布、生活感のある雑多な物までいちいちセンスがいい! (フランス映画『アメリ』の昭和レトロ版とでも言おうか)
そして太宰治。
『ヴィヨンの妻』で太宰を演じた浅野忠信がハマり過ぎていたので、本作の小栗旬に若干の懸念(役に合わないのではないか)があったのだけれど、とんでもない。
私の頭の中にある小栗旬像よりも少し年を重ねた彼は、太宰の色気をむんむん出していた(記憶のアップデイトの必要性)。
その色男太宰に突然抱きすくめられ戸惑う未亡人・富栄に、熱烈な接吻をした後の名(迷)台詞。
「大丈夫。君は、僕が好きだよ」
ぎゃーー
知ってるよ。知ってる。あなたがそういうこと言う人だってことは。でも何度も言いたい。ずる過ぎる。
「僕は、君が好き」じゃない。だからどうこうなっても、君が好きでしたことだからねと、最初から釘さしてる……
ここから富栄の貞操は”自主的に”崩されていく。
二階堂ふみ演じる富栄がじょじょに狂っていく様がすごかった。
真面目な未亡人から恋する乙女となり、いつしか嫉妬に狂う女へと変わっていく、二階堂ふみの眼の演技に見入ってしまう。あと、彼女の声がいい。
太宰の安定の屑っぷりをどれだけ見せられても、やっぱり憎めないのは私の性か。
「みんな可愛いんだよ。みんな俺を求めているんだよ。応えるしかないだろう」
そんな馬鹿な!
同性からさんざんな批判(と嫉妬)を浴びるのは当然だ。
なのに女性からは結局赦される太宰の魅力は、子どもっぽさや甘え上手なところ? 類稀なる才能? 否、色気だ。色気でしかない。
いくら才能があるからといって、甘えるのが上手いからといって、不細工だったらこんな人生ではなかったはずだ。また、ただ見かけが整っているだけでもこうはならない。
そこはかとなく漂う不埒で不潔な色気。
これは、出そうと思って出せるものではない。そもそもごく限られた者だけにしか与えられない宿命的な賜物なのだから。
熱をあげ、身を尽くし、それでも自分ひとりのものにはならない太宰を恨む女はいない。
皆一様に、太宰と過ごした時間を幸福な宝物のように思い続けている。
女って、馬鹿だな。
男も、馬鹿だな。
でも、こんなふうに狂ってしまいたい。そんな願望は誰の心にも必ずあって、だからこそ太宰は愛され嫌われる。
太宰と同じ時代に生き、巡り合ってしまっていたら間違いなく私は堕ちていただろう。
最後にもう一つ。
ラストに流れる曲(映画全体の音楽を担当した世界的サウンドクリエイター・三宅純さんの『Easturn』)がとてつもなく良かった!
宗教的な音色と高揚感を煽るようなリズム。安らぎとざわめき。渦巻く運命。あまりこういう言い方はしたくないけど、“子宮に響く”。そして、妻・美知子(宮沢りえ)の不敵な笑み。唸るしかない。