乱読家ですが、何か?

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#71 明るい方へ 父・太宰治と母・太田静子  太田治子著

 

 

 人生何度目かの太宰ブームが止まらず、娘の手記にまで手を出す始末。

 

 母・太田静子は『斜陽』の基になった日記を書いた人で、太宰の愛人でもあった女性で、静子と太宰の間に産まれたのが本書の著者太田治子だ。

 

 あの太宰の子、それも正妻の子ではなく愛人の子が、自分の母ではない新しい愛人(山崎富栄)と死を遂げた父親をどう見ているのか。作家としても男性としても熱狂的な信者とアンチを持つあの人を、どう思っているのか。ただその一点の興味から読んだ。

 

 

 読みはじめてみると、太宰治という人が実在し、生きて、死んだのだということが本当だったんだなあととても不思議な気持ちになった。

 

 東京で一人暮らしを始めて間もない頃三鷹にある太宰の墓に参ったこともあるし、数々の著作を読んでいるのだから、時代は違えども彼が存在していたことは確かだ。なのに、私にとってはどこかフィクションというか、虚像のように存在していたようだ。

 もしかしたら、いくつもの映像で複数の俳優(私の知る限りでは小栗旬浅野忠信生田斗真役所広司)が太宰を演じているのを観た影響かもしれないし、ゴシップ的なものも含めあまりに第三者が彼を語るせいもあるのかもしれない。

 

 そんなふうに、小説は身近にありながら陽炎のようだった太宰が生身に感じられただけで、この本を読んだ甲斐はあった。

 

 

 内容についていえば、治子は母(静子)から伝え聞いたことを語っているにすぎない。

 なにしろ父親は彼女の産まれた約半年後に入水しているのだ。

 顔も知らない赤の他人といってもいいくらいの関係性ではあるけれど、たまたまその人が色んな意味で有名だから血の繋がりを意識せざるを得ないし、父のことを母のことを想わずにはいられないのだろう。あるいは呪縛のように感じたことすらあってもおかしくはない。

 

 母はこんな人だった。こんなことがあったと言っていた。太宰はこう言ったそうだ。それらに加えて推測で断定しているところもあるのでこの本に書いてあることが100%真実だとは言えないし、『斜陽』を書くために母の日記を利用したことや、太宰が死んだ際津島家からは手切れ金のようないくらかの金銭が与えられただけでその後の生活にはいっさい支援がなかったことへの私憤もおおいに混ざっているように感じる。

(だからせめて父の名を用いて手記を出版するくらいの権利はあるはずだと考えたんじゃないか、という邪推もできる。)

 

 

 静子も『斜陽』の件では複雑な心境だったのが以下のようなやりとりでわかる。

 

 

 しかし太宰のことだけは、時として「悪魔」とも或いは「神さま」ともいった。

(中略)

「太宰ちゃまを信じて、私はいわれるままに日記をお渡ししたのよ。でも日記を渡す時は、悲しかった。子供のようにそれは大切にして綴ってきたものだったの」

 母は『斜陽』のもとになった日記のことを、何度も繰り返してそう話した。

(中略)

「太宰ちゃまは、『悪魔』だったのね」

 母を慰めるようにしてそのようにいうと、急に母は大きな眼を更に見開いて怒りだすことがあった。

「いいえ、神さまだったのよ。『斜陽』の中に、私も生かされているの」

 

 

 どう考えても太宰は静子を愛していたのではなく、彼女に日記を書かせ、それを手に入れるために繋ぎとめていた。その魂胆が剥き出しになることもしばしばあり、でもお得意のずる男のやり口で彼の思い通りに事は運んでいった。

 体目当てならぬ日記目当てであることには静子も気づいていたからこそ「悪魔」という言葉が出たのだろう。

 

 では一方で、「神さま」だともいうのはなぜか。

 

 これは、ストックホルム症候群に近い心理だったんじゃないかと私は勝手に憶測している。

「あの人は私をそそのかして日記を奪い取った悪人だ」「妻子がありながら、酷い男だ」と恨み言だけをいえば自分が惨めになる。

 太宰を男として恋していたのはもちろん、愛のない夫との子を早くに亡くした罪悪感からの救い主にもなり、新しく生きる(革命)ための指導者となっていたのは事実だと思う。

 しかしそれらを差っ引いても余る「いいように使われた感」を拭うには、神の位置にまで引き上げて更に自分の存在も『斜陽』の中にあるとしなければやりきれなかったのかもしれない。

 

 

 そんな父・太宰を、娘は冷静かつ辛辣な眼で見ている。

 

 たとえば、静子が太宰と初めてデートをした別れ際のこんな場面。

 

 東京駅の改札口でわかれる時に太宰は、

「じゃあ、手紙を忘れないで」

といったという。

「四、五日したら、都合のいい時と場所を知らせてほしい」

ともいった。一緒に映画を観てお茶を飲んだという今の男女と変わらないデートに、太宰の方から電報で誘ったのである。次は、君が誘う番だよということなのだろうか。

 ここに、太宰らしさが現れている。ひとまず最初のサイコロはふった、ここで相手のでかたをみてみようという受身の姿勢である。これは、ずるいと思う。

 

 

 このあと著者ははっきりと「私はこのような男性が大嫌い」だと書いている。

 父親だろうが大作家だろうが、否、父親だからこそバッサリ斬れる。

 私なら四、五日を待ちきれない気持ちで悶々と過ごしたのちに張り切って電報打っちゃうよ!

 

  

 いずれにしても、『斜陽』のあの場面は実際にあったことなんだなとか、逆にあの設定は創作なんだなとか、志賀直哉のことが本当に嫌いだったんだなとか、いろいろ答え合わせができるという意味でもなかなか興味深い読み物だった。

 ちなみに、絹ごしかず子の「絹ごし」という形容は太宰のオリジナルかと思っていたのだけど、実際に太田静子が日記に書いていたもので私の推理はまったくあてにならないということもわかった。