太宰治から派生して太田治子と坂口安吾へ、安吾から枝分かれして矢田津世子、ひいては中原中也に辿り着いた。
思えば遠くへ来たもんだ。とは、まさに中也の遺した名フレーズ(海援隊の人のは完全なパクリだとあちこちでバレている模様)であるけれど、こうして微生物が繁殖するように拡がっていく読書網は、予想だにしない作品を手にするきっかけになり、自分のことなのに意外な方向性に驚く面白さがある。
中原中也については「イケメン詩人」という認識しかなくて、私は詩は読まないのでどんなものを書いているかはまったく知らず、また知ろうと思ったこともなかった。
が、坂口安吾の『二十七歳』に登場した中也が私の勝手な想像と180度違って口の悪いチャラ男だったので、何か(詩ではないものがあるのならば)一つでも読んでみたくなった。
早速「中原中也 小説 おすすめ」と検索してみたらこの短編『我が生活』が出てきたので素直に従うことにした。
話は、同棲している女を親友に奪われ、ご親切にも彼女を新しい男のところへ荷物とともに送り届けるという場面からはじまる。
送っていく男も男だけど、送らせる女も相当のタマ。さらに新しい男は元カレである主人公に「一寸上がれよ」なんて言うし、主人公もさっさと帰ればいいのに上がってしまう。
三人ともどうかしてるよ!
と思っていたらこれ、小説じゃなくて実話(随筆)だったからまた驚き。
中也は恋人である長谷川泰子(女優)を小林秀雄に取られていた( ̄□ ̄;)!!
事実は小説より奇なり
坂口安吾にせよ、中原中也にせよ、強烈すぎる一人の女性との恋を経験し、自身の内面にある葛藤や苦しみを生々しく書いている、その紆余曲折をたどっていると、もう恋愛小説なんて必要ないんじゃないかと思うくらいに濃い。
然るに、私は女に逃げられるや、その後一日々々と日が経てば経つ程、私はたゞもう口惜しくなるのだつた。
とにかく私は自己を失つた! 面も私は自己を失つたとはその時分つてはゐなかつたのである! 私はたゞもう口惜しかつた。私は「口惜しき人」であつた。
彼女を新しい恋人の家まで送るお人好しの中也だったが、当然その口惜しさたるや。十数頁の短い中に何遍も「ただ口惜しい」と重ねている。
それだけでは気が済まなかったのか、『小林秀雄小論』では小林秀雄の悪口を書きまくっていた。
然り、この男は無意識家なのです。然るに用心深すぎるのです。卑怯なのです。然るにこの男が此の頃大変卑怯ではない人の分ることが分るのはどうしたことでせう?
正直、私には中也の攻撃ポイントが理解できなくて、ちょっと何言ってるかわかんないんですけど? という感じだったのだけど、たった二頁とはいえ丸々悪口に使って少しでも溜飲が下がったのなら良かったね、と思う。
――僕は生意気なことを言つた。
というのも、最後の最後は、安吾もいいけど中也もね♡と肩入れしたくなるような可愛さで終わっているからだ。