著者は、映画『太宰治と三人の女たち』では二階堂ふみが好演していた愛人2である山崎富栄。
愛人1(太田治子)との公平性を保つためにこっちも読んでみたのだけれど、これは読んで良かったと思えるものではなかった。
素人の日記なので読み応えがあるとかないとかとやかくいうことはできない。そもそも出版するために書かれたのではないわけで、筆力や才能を問うものではない。
それにしても、まあ絵に描いたような「日陰の人」だ。
太宰治と心中を遂げた昭和23年6月13日から遡ること1年余り、前年の3月に二人は出会い、その出会い以降の日記となればまさに恋に恋する乙女の愛のメモリー。
五月十九日
愛して、しまいました。先生を愛してしまいました。
どうしたら、よろしいのでございましょうか。お逢いできない日は不幸せでございます。
基本的にはこの二行で済むというかこれでしかないことが、時に聖書や外国の思想家の引用を挟んだり、陳腐なポエム仕立ての文やI love you with all in my heart but I can’t do it. のような変な英文を混ぜ込んでくるのでとにかく甘ったるく、どこを切り取ってもじっとりと感傷に濡れている。
十二月十一日
わたしのこういう生活が、あなたにとっての喜びであれば、それがわたしの慰めですの。
二人の心もちの結ばれは自然です。けれども二人の生活は不自然です。わたしは結婚しとうございます。
二人が十年前にお逢いしていたのなら、なんにも言われることもなく、周囲の人達も泣かないでこんな幸せなことはなかったことでしょうに。
愛人の立場としてはごく自然な本心で、会えば会うほど相手には家庭があり自分のものではなく周囲からも祝福される関係ではないことに苦しみを覚えるのはわかる。
が、個人的には、妻子のある男だとわかった上で関係を続けるのならこういうセンチメンタリズムははじめから持たない、若しくは捨ててからにするべきだと思う。
飲んだら乗るな、乗るなら飲むな
と同じで(同じか?)、独占したいなら惚れるな、惚れたなら独占したがるな、そう思うのはドライ過ぎるだろうか。
お見合い結婚をしたわずか12日後に夫は出征してしまった(後に戦死の知らせが来る)ということを鑑みれば、この人は恋も結婚生活も経験していない状態で太宰という魔物に出会ってしまったわけで、溺れるのは必然だし悲劇のヒロインになりたがるのも致し方ない。
ただ、その胸中をノンフィクションで見せられるとはっきりした拒否反応が出てしまう。
知らない人の、しかも恋に狂っている最中の心境なんて見られたもんじゃないというのが正直な感想だ。
断言するが、山崎富栄が悪いのではない。
彼女はこの日記が公開されるなんて露ほども望んでいなかったはずだから、何をどう記そうが100%彼女の自由だ。
それがどういう経緯で世に出ることになったのかがよくわからないけど、一儲けしたい誰かの思惑なのだとしたらナンセンスだと心から思う。金ではなく文学史を紐解くためだともっともらしい目的を以てしても、だ。
読んでおいて言うのもなんだけど、これは、本人がひっそりと墓場まで持って行くものであって人目に晒すものではない。今私は、山崎富栄にとても申し訳ない気持ちになっている。
ごめんね、サッちゃん。