乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#80 破戒  島崎藤村著

 

  

 少し前に電子書籍でダウンロードしておきながらなんとなく手を付けられないでいた――難しい話で読みにくいのではと尻込みしていた――のを、先にこれを読んだ友人の話を聞いているうちに、俄然読まねばという気になった。

 

 まず感じたのは、難しさではなくとにかく長いということ。 

 これより長い作品なんていくらでもあるけれど、なんというか、気持ち的に実際以上に長く感じる。

 

 電子書籍の欠点は本の厚みを触感として得られないことで、気の遠くなるような先の長さを手で確かめることはできないのだけど、それでも既読頁数がじりじりとしか減っていかないのは目でわかる。

 

 とくに前半の40%くらいは、一進一退どころか一進もしない(体感)。

 生い立ちに重い枷のある主人公が、ひたすら隠してきたそのことをある人に打ち明けようとしてなかなか言い出せないでいる。

 決意しては実行できない逡巡がもどかしく続き、もう早く言っちゃいなよ! と焦らされっぱなし。

 大チャンスがきて、どう考えても今でしょ! という場面になってはまだ(また)言わない、そんな繰り返しが続くともはやコントのようで半ば呆れるくらいだった。

 

 

 

 そこまで主人公が慎重ならざるを得ないのは、父から強く言われていた「戒」があるかららこそ。

 

 さあ、父の与へた戒めは身に染々と徹へてくる。『隠せ』――実にそれは生死の問題だ。あの仏弟子が墨染の衣に守り窶れる多くの戒も、是の一戒に比べては、寧そ何でもない。祖師を棄てた仏弟子は、堕落と言はれて済む。親を捨てた穢多の子は、堕落でなくて、零落である。『決してそれとは告白けるな』とは堅く父も言ひ聞かせた。

 

 

 彼は、自分に非は全くない、またどうすることもできない出自が明るみに出てしまったら、教職も、恋も、日々の暮らしさえもままならないと怯えながら生きているのだ。

 

 この作品の凄さは、「怯え」を常にまとっている状態での心情がつぶさに書かれているところだと思う。

 

 暗く重く立ち込める曇り空の下で晴れ間なんて永遠に出そうもない絶望感に押し潰されそうになって震える心地が、まったく同じ苦しみを理解できるとはいえない立場の私にも体感として伝わってくる。

 

 生徒を愛し、同僚やその家族にも思いやりの心を配り、人情味あふれる彼であればあるほど、苦しみの理不尽さが色濃く映し出されて辛い。

  

 そんな中、それとこれとは別だといわんばかりに書かれる風景が見事にコントラストを生んでいる。

 状況はどんどんしんどくなっていき主人公の心も重さを増すばかりなのに、あくまで田舎の自然は豊かで美しく、そこで暮らす人々は質素ながらも黙々と今を生きている、その日常の営みが読み手――少なくとも私にとっては、オアシスのように感じられた。

 

 

 とまれ物語はじわじわと展開していき、うって変わって後半は頁を捲る手が止まらなくなるくらい動きを見せる。

 

 結末には触れないが、読み終えた時は、大きな仕事を一つ成し遂げたくらいの達成感と、凄い物語を読んでしまった充実感、それに加え何かを自分自身に問わずにはいられないような感覚がいつまでも残った。

 

 その問いはこれじゃないかと気付いたのは、前述の友人と再び(私も読了した状態で)話していた時のこと。

 

 

もし自分の職場にこの主人公のような立場の人がいたとして、果たして私は彼の味方になれただろうか。

 

 

 小説の中では、彼のことを意地悪く追い詰めていく校長一派と、彼を擁護しようと力を尽くす同僚の両方がいる。

 

 物語として俯瞰で見れば、校長一派に対してはなんて嫌な人たちなんだと怒りを覚えるし、友情に篤い同僚には胸を打たれる。

 

 けれど、自分がそのコミュニティにいると想定した時に、私は絶対に校長側につかないと言い切る自信がなかった。

 

 たとえば日頃から、生徒に慕われている主人公や颯爽とした同僚教師に嫉妬の心を持っていたとしたら。あるいは自分が自分で思うほど認められておらず、ずっと歯噛みする思いを抱えていたとしたら。

  口のうまい校長にやすやすとそそのかされてしまいかねない、そんなふうに私は私を疑っている。己の中に潜んでいる狡猾さを知っているから。

 

 たぶん私の場合、理性では校長のしていることが非道いことだという認識はできるので中途半端な罪悪感だけはあって、それでも折りが悪ければ長い物に抗えず巻かれてしまう可能性がある。

 後ろめたさを感じるくらいならいっそ振り切って、しめしめと太鼓持ちになる方がマシじゃないかとも思うけれど、やっぱりそれはマシなんかじゃない。心を痛めることなく立場の弱い人を蹴落とし追放できる人間にはなりたくない。

 

    

 私はこの作品を読んで、「差別をするのは良くないことです。だからなくしましょう」という教訓を得たというよりも、世間の持つ力、多数派でいることの安心感、損得勘定、それらに屈せず自律できる人たちの清廉さがきらきらと眩しく、憧れを強く持つのだった。