乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#95 ある自殺者の手記  小酒井不木著/ ある自殺者の手記  ギ・ド・モーパッサン著

 

 異なる国で同名の小説が存在するのはただの偶然なのか、後に生まれた方(本作でいえば小酒井不木)がインスパイアされて書いたのか。別に調べるほどのことではないけれど、なんだか不思議。

 

 この二作はどちらもタイトルのまんま、ある人物が自殺をする前に書き残した内容が短編そのものになっている。

 いずれもストーリーテラーのような役割の語り手が簡単なイントロダクションを述べた後に手記が続く、という構造も同じ。

 

 しかし当然ながら、どんな人物が、なぜ自殺を決意したのかはまったく違っていて面白い。

 

 小酒井不木の方はミステリで、一人の男が自殺する際に二人の道連れをつくる。つまり、自殺をしながら他殺もしていて、しかも遺された者には三人の死の真相はわからない仕組みになっている。

 

 

 片やモーパッサンは、五十七歳の男の手記。

 これといって死ぬほどの苦難はなく、ただ、三十年同じ事の繰り返しで生きていることに虚しさがつのり、ついに彼は死を選んだ。

 

 

絶望の果てに決行されるこうした行為の裏面に、世間の人が極って探し求めるような大きな破綻は、一つとして述べられていない。

かえってこの手記は人生のささやかな悲惨事の緩慢な連続、希望というものの消え失せてしまった孤独な生活の最後に襲って来る瓦解をよく語っている。この手記は鋭い神経をもつ人や感じやすい者のみに解るような悲惨な最後の理由を述べ尽くしているのである。

  

 単調な中に幸せを見出せていたはずの過去もあったのに、今は全てが色褪せて、つまらない。

 たったそれだけのことを理由に死ぬなんて命を粗末にしている、という見方もできるかもしれない。

 仕事があって家があって健康なのに贅沢だ! と思う人もいるかもしれない。

 けれど私は、ある程度生きてきて、些末な積み重ねで溜まっていく倦怠感は決して侮れないことがわかるし、だから、この男の心に空いた穴の暗さも寂しさも、沁みる。

 

 

何もかもが、なんの変哲もなく、ただ悲しく繰返されるだけだった。家へ帰って来て錠前の穴に鍵をさし込む時のそのさし込みかた、自分がいつも燐寸(マッチ)を探す場所、燐寸の燐がもえる瞬間にちらッと部屋のなかに放たれる最初の一瞥、――そうしたことが、窓から一思いに飛び降りて、自分には脱れることの出来ない単調なこれらの出来事と手を切ってしまいたいと私に思わせた。

 

 言いようのない無気力と孤独の表現がすごく巧い。

 

 ぶ厚いオーバーコートを着た少し猫背の初老の男が、一日の仕事を終え、家路につき、誰もいない部屋でもそもそと食事を摂り、ベッドに入る。

 手記を読みながらずっとそんな映像が鮮明に浮かんでいた。

 

 外国文学(の翻訳文)を好まない私でも、モーパッサンという人の名前はさすがに知っていたけれど、その人となりやどんな作品を書く作家なのかは全く知らなかった。

 どうやら彼自身精神を病み、自殺未遂の経験もあるようで、著者自身に俄然興味が湧いてきた。

 

 これから少しずつ読んでみようと思う。