え、え、え、エグい!!!
こんなに容赦なくえぐってくる話って、あるだろうか。
恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい
たのむから、そこは触れないで。そんなに追求してこないで。それは言わないで。そういうところを公衆の面前で晒されるような恥ずかしさ。
拷問だ。拷問でしかない。
三つの中編がおさめられている中の一編『本当の旅』は、若者とはもう言えない年齢の三人がマレーシアへ貧乏旅行をする話。
ほとんど全ページで、私は「穴があったら入りたいのに穴がなくて入れない(から地面でのたうち回る)」地獄に陥った。
何でもかんでも「感謝!」とありがたがり、それに気づていない人を「可哀想」と言う彼らは、お金から、ルールから、社会から、「自由である」ことを支えに自分を保っている。
あらゆるネガティビティから目を背け、これでいいのだと言い張り、言い聞かせ、思い込まなければ今にも崩壊してしまいそうな自我が、痛々しくて見ていられない。
「そりゃあさ、お金があってANAとかJALとかに乗れる人は当たり前みたいに荷物預けて、好きなものが好きなだけ持っていけるかもしれない。けど、それって本当に旅を満喫してるって言えるのかなあ」
「わかる。言いたいこと、わかる」
「結局、お金がある人達はさ、自分がものすごく損してるってことに気づけないんだよね」
「可哀想だよね」
お金があったら即ち幸せではない。
それは、私もそう思う。お金があっても満たされない人はいる。
けれど、お金はあった方がいい。絶対に、ないよりは、ある方がいい。
お金があるということは、選択肢が増えるということだ。
潤沢にお金がなければANAにもJALにも乗れずLCC一択であるのに対して、お金がある人はANAを選ぶことができるのと同じようにLCCに乗ってみることだってできる。
持ち駒が一つしかない人間が、選択肢の多い人を羨ましがらないのはいいとしても、「可哀想」だと下に見ようとするのはお門違いで、逆に自ら負け犬認定シールを顔に貼っているようなものだ。
ポジティブシンキングと強がりの境目って、どこにあるのだろう?
よく、ポジティブ/ネガティブの例としてコップの水が使われる。
コップに半分水が入っているのを見て、「半分も入っている」と考えるか、「半分しかない」と嘆くのか。
彼らがしているのは、「まだ半分もある」というポジティブシンキングではない。
コップの水に泥が混ざってしまったのに、「これは泥水じゃない」と言ったり、あるいは「この泥にこそ栄養があるのだ。むしろありがとう!」と言っているだけだ。
泥は泥だし、栄養はない。
ろ過したり新しい水を入れたり何らかのアクションを起こしきれいな水を得る努力は一切放棄して、問題をすり替え、汚れを無かったことにして、ありがたがっている。バカ過ぎる。
これを、「バカだなー」と笑い飛ばして終わらせられないのは、第一に、私自身にもそのような愚かさがあった(今もないとは言い切れない)から。ああ、恥ずかしい。
「僕らの人生はなんのためにあるべきかなあ」
と僕が思わず漏らすと、
「やっぱりさ、」
と路上で始まったカラオケの歌声に体を揺らしながらヤマコが口を開いた。
「ヴァイブスっていうか、ヴァイブレーション?」
目は閉じたまま、ヤマコは言った。
「あー。はいはい」
「やっぱ究極そこだよね」
「結局、私達の一挙手一投足。言動。思考。呼吸みたいなものすべてが、共有されていくイメージを持ち続けること?」
こういう気持ちの悪い会話、聞いたことある。いや、そこにいた私も、きっと同じようなことを言っていたと思う。
この本の恐ろしいのは、雑に蓋をすることを許してくれないところ。臭い物をしかと嗅げといわんばかりに鼻先に突き付けてくる。
「きっと」じゃないだろ。確実に言ってただろ。
ハイ。言ってましたすみません。
まさに黒歴史の玉葱を一枚一枚めくられていくような嫌な気持ちになって、誇張ではなく吐き気がする。
それともう一つ笑えない理由は、僕が薄く「本当のこと」に気が付いているから。
何かが違うんじゃないか、このままではマズいんじゃないか、常に違和感と不安があるから自信がない。
だから、せめて、SNSでいいね! と言われるように必死になる。
目の前にある物そのものではなく、どう映るか、どう見られるか、そればかりを考えて、それがすべてになる。
もう二度と読みたくないと恨めしいくらい打ちのめされて思うのは、この小説が、ハッピーエンドでなくて良かったということ。
もしこれがなんだかんだでハッピーエンドだったら、私は著者を嫌いになったと思うけど、本谷有希子はそんなことしない。バッサリと残酷に斬る。
そうあるべきだと、そこだけは胸のすく思いになった。
追記:読後、読書メーターに載っている感想文をいくつか読んだのだけど、思いのほかあっさりした感想が多くて、自分にとっては悶絶必至でも誰かにとってはかすりもしないボール球という当たり前の事実に驚いた。