乱読家ですが、何か?

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#99 敬語論  坂口安吾著  

 

 

「言葉は時代的なものである。生きている物だ。生活や感情が直接こもっているものだ。だから、生活や感情によって動きがあり、時代的に変化がある。」と前置いてから、男性語・女性語、そして敬語についての持論を述べている。

 

 

 私が「本当にそう!」と思ったのは、「お前よび」のところ。

 

 女房をお前とよぶのは男尊女卑の悪習だというが、例がフランスの「お前よび」にある通り必ずしも男尊ではなく親密の表現でもあり、他人行儀と云って他人のうちはテイネイなものだが、友達も親密になること、日本も「お前よび」と同断であり、女房をお前とよぶのも、むしろ親しさの表現の要素が多いであろう。

 た、日本の場合、女の方が亭主をアナタとよぶのが女卑の証拠だというのも、一概にそうも云えない。男言葉と女言葉の確然たる日本で、男女二つの呼び方が違ってくるのは当然で、アナタとよぶことが嬉しいという日本の女性心理には、日本の言語の慣例を利用して、愛情を自然に素直に表出しているにすぎないと見る方が正当ではないかと思う。

 

 

 昨年、ある企業が公式SNSで夫婦の何気ないやりとりを綴った中で、妻のことを「嫁」と書いたことが炎上し、謝罪したという妙ちきりんなことがあったらしい。

「奥さん」も「女房」も「家内」もダメで、唯一許される(男女平等だとされる)のが「妻」だという。

 

 いわんとすることは、わかる。

 夫を「旦那」「主人」というのも、神経質な女性からすれば下僕感のある呼び方なのだろう。

 

 

 でもさ、誰が誰に謝ってるの?

 

 

 私は誰かが「ウチの嫁が……」というのを聞いて不快に感じたことはないし、それだけで、女を見下している人だと判断することもない。

 そもそも、なぜ架空の(あるいはどこかの)夫婦間で使われる呼称に文句を言うのかが、まったく理解できない。

 

 安吾のいうように、夫は親しみを込めて「嫁」とよび、妻は夫からの親密さを受けて幸せを感じているかもしれない、とは思えないのだろうか。

 

 

 そういえば女友達の中には、彼氏や男友達に「お前」とよばれるのは絶対に許さないという人が何人かいたのを思い出した。

「下に見られている」「何様だよ!」と言っているのを聞いて、驚いた。

 私は今までお前よびする人と付き合ったことはないけれど、何かの弾みで男の人に「お前」と呼ばれてキュンとしたことはある。

 やっぱりそこには親しみや特別感があって、どちらかというと嬉しかったのだ。

 

 

 つまり、受け取り側の感情がすべてだということ。

 

 

 受け手じゃないのに口を出すのはあたおかだし、そんなわけのわからないクレーマーに謝る必要は、全然ない(企業だから謝らざるを得ないのだろうけど)。

 

 

 ああもう本当に、誰かが公衆の面前で謝らないと事がおさまらない、というのはやめにしませんか、とうんざりしながら願う令和の春。