2016年に一度読んだ時の感想として、「時々テレビで見る朝井さん(の話すこと)はとても好きなのに、作品とはどうも相性が悪いようで、とくにこれは、10代のアイドルグループに属する女の子という自分とは何の接点も興味もない世界の話なので、感情移入がまったくできなかった。」と残していた。
が、最近『桐島、部活やめるってよ』『何者』で立て続けに心をえぐられたこともあり、興味のない世界の話とわかっていながらもう一度読んでみた。
二度目の感想としては、概ね同じというか、やっぱりこの話にのめり込むことはなかった。
ただただ、アイドルって大変だなあと、ありきたりなことを思いながら、あの、坊主頭の彼女のことを思い出していた。
「なんか、どっちなんだろうって思うこと、あるじゃん」
愛子は、自分の言葉が足りていないことを自覚しながら、言う。
「人って、人の幸せな姿を見たいのか、不幸を見たいのか、どっちなんだろうって」
碧は、頷きもせず、愛子の言葉を聞いている。
彼氏がいることを写真に撮られ、頭を丸めたアイドル。あの動画の再生回数は、何百万回だっただろうか。握手会襲撃事件。被害者であるアイドルの回復を望むのではなく、包帯姿の自撮り写真を糾弾することに力を注いだ人が、どれほど多くいたことか。
私は久しぶりに日本に帰って、でもまだ“旅の途中”の気分は続いていて、神戸から香川へ渡るフェリーを待っていた。
フェリーに乗るまでまだ時間があったので、待合室の椅子に座ってぼけーっとしていたら、急にテレビの画面に大写しになっている坊主頭の女の子が目に飛び込んできた。
え?! と、一瞬で釘付けになって、固まる。
不揃いに刈った痛々しい頭で、目に涙を溜めた女の子が、悲痛な表情で何かを謝っている。
私は彼女の顔も名前も知らなくて、その時はじめてあの大所帯グループの一員であることを知ったのだけど、それでも、同行者(旅仲間)の存在を完全に忘れてしばらく動けなくなるくらいの衝撃を受けた。
調べてみたら、あれは2013年のことで、スキャンダルが発覚したのが1月、私が香川に行ったのは6月なので、タイムリーな映像ではなかったようだ(なぜ6月にワイドショーでそれが流れたのか不思議で更に調べたら、ちょうど第何回目かの総選挙があった日だったことがわかった)。
アイドル→夢を売る商売→恋愛禁止→破ったら謝罪→禊
理屈としてはそういうことなのは、わかる。
一方で、アイドルだって、恋もすれば、あんなこともこんなこともするよ、実際。
だって、人間だもの。
というのも、みつをじゃなくても知っている。
彼女は、誰に言われたでもなく、自らの決意で、あれをしたのだという。
絶対にしてはいけないことをして、それでもアイドルでい続けるために、反省した姿を撮影し、公開した。
純粋な苦渋の決断ともとれるし、注目を集めるためのパフォーマンスともとれる。
人は、見たいように見るし、言いたいことを言う。
真意はわからない。
わからないけれど、不幸を見たい人の数が圧倒的に多いのは確かだと思う。
あれから8年経った今、その風潮は加速して、次から次へと不幸のターゲットを見つけては糾弾する世の中になっていることは肌で感じられる。
オリンピックが間近になれば、携わる人の過去をほじくり足を引っ張る。
それが終わったかと思えば、いき過ぎた発言をした人気者を吊るし上げる。
さて、次は誰にしようか。
意地悪く光る眼が、うようようごめく世界。
この時流は、「〇〇させていただく」の乱用と比例していると、はたと気づいた。
「M-1で優勝させていただいて」
え、優勝した、じゃなくて? させていただいた?
いやいやいやいや、優勝したのは、あなた(たち)の作ったネタが面白かったからだし、たゆまぬ練習の成果なんだから。
それだけでなく、運とか応援してくれた人とか、何かを調整してくれた事務所とか、支えてくれた家族とか、何より高得点をつけてくれた審査員とか、諸々のおかげだって気持ちがあるってのは、わかるけども。
「M-1に出させてもらって」
いや、誰に!
エントリーしたのは、あなた(たち)。
予選を勝ち抜いたのも、あなた(たち)。
「優勝した」「出た」って言ったら、誰かに「自分の力だと思うなよ!」「誰のおかげだと思ってんだよ!」って、攻撃されるの?
日本語が破綻するほどへりくだらないと生きていけないのか。
アイドルじゃなくたって、あれはだめ、これはだめ、人を傷つけるな、差別をするな、嘘をつくな、ズルをするな、調子に乗るな、自慢するな、禁止禁止禁止禁止の世の中で、一体何をおもしろがっていいのか、見失いそうだ。
ずっとずっと気になって、というか気に障っていた言い回しについて好き勝手に書かせてもらって、スッキリさせてもらった。