この本もまた、日本にいる友人が送ってくれたもの。
ロックダウンでついに古本屋も一時休業してしまった(今は再開)ので、ありがたみが余計に身に沁みる。
向田邦子さんといえば、“寺内貫太郎一家の脚本を書いた人”であることはそのドラマを観ていなくてもタイトルとセットで知っている。
この本の前半は日記のようなエッセイで、向田さんの身の回りで起こる日々の小さな出来事が綴られている。
よく登場するのは、古き良き、私が知っているよりももっと前の昭和の食卓。
丁寧に炊いたお米、鰹や昆布でとった出汁、海苔、卵、これぞニッポンの正しい食事! という品々がさらりと出てきて、それほど日本食に飢えていない私でも食欲をそそられる。
それで思い出すのは、食いしん坊で料理上手だった祖母のこと。
粗くマッシュしたじゃがいものコロッケとか、スコッチエッグとか、きちんと濾した生地で焼いてくれたクレープとか、老人にしてはカロリーの高い、しかしどれも超絶美味なおばあちゃんの味。
そういえばまだ元気に一人暮らしをしていた祖母の家に最後に行った時も、料理をしていた。
玄関に上るなり「今ちょうど茹で卵するところだったんだけど、あんた、ちょっとやってちょうだい」といきなり任命されて、茹で卵くらいならと小鍋に張った水に卵を入れようとしたら「おたま使いなさいよ、おたま。割れるから。」と後ろから口を挟んでくる。
うるさいなあと文句を言いながらも、一応素直に従って、普段は使わないおたまでそっと卵を水に落とした。
茹で卵の出来栄えは、おぼえていない。
けれど、今は天国にいるおばあちゃんがいつも台所で何かしら手を動かしていた姿は鮮明なまま生きている。
それはさておき。
食事の話以外に印象的だったのは旅先での日記。
私は日頃、旅行記と称される本はほとんど読まない。
いや、能動的に読んだこともあるけれど、旅好きのくせに赤の他人が外国でどうしたこうしたという話にはあまり興味がないことに気付いたのと、多くが武勇伝の匂いか逆にきれいなところだけをピックアップしている感じがして白けるのとで、読まなくなったのだ。
なのに、この本で遠い国の描写に惹かれたのは、2年近く国境はおろか県境すら越えずに閉じ込められたような気分の今だからなのだろうか。
日本ではない国に住んでいるなら旅行しているみたいなものだと思われるかもしれないけど、住んでいればそこは日常になり、新鮮さも驚きもどんどん薄れ、「普通」になっていくものだ。
ベルギーは複雑な国である。
フランスみたいに、粋です、洗練されてますとひと口では言えないところがある。
正直いって、私にはまとまったものは何も見えなかったが、ただひとつ言えることは、色あいのはっきりした大国を見物するより、判らないなりに生き生きして、とても面白かったということだ。 『ベルギーぼんやり旅行』
ベルギーといえば一時期流行ったベルギーワッフルくらいしか知らない、あの『フランダースの犬』もベルギーだったのだとこの本で知ったくらいだったけど、もうベルギーに行きたくて仕方がなくなってしまった。
ベルギーじゃなくてもいい。
どこか、今いるところと全く違う景色を見たい。
違う味付けの食べ物を食べて、違う顔の人たちが行き交うのを眺めて、違う言葉で話しているのを聞きたい。
少し前までは、その気にさえなればすぐにできたことが、できない。
むくむく湧いた旅欲が、叶わないなら文字からでもといわんばかりに吸い上げていく感覚で読んだ。
ブラジル人は男も女もおしゃれである。絵心があるといおうか、青い空やコーヒー色のアマゾン河を背景に、自分の肌の色を知りつくした上で、大胆な色を組み合わせて身を飾る。ここではおとなしい中間色は似合わない。暑苦しい黒もあまり好きではないらしい。
揺れるもの、光るものが好き。踊ったとき動いたとき一番美しくみえるのが、この国の人の生き甲斐のようだ。色にむせながら街を歩いた。
アマゾン河は静かに流れている。 『アマゾン』
無論、文字を追うだけで完全に満たされることはないが、この本が、私の代わりに海を渡ってほんの少し日常ではないエッセンスを運んできてくれたのだ、そう思ってしばし異国の色とりどりを感じていた。
最後に、取材旅行中の台湾で遠東航空機墜落事故でお亡くなりになった著者の人となりが色濃く表れている箇所で締めくくる。
「あたしはトシだから」「めんどくさいことはカンベンしてよ」と人生に対して白旗を上げてしまったが最後、残りの人生は捕虜と同じである。
(中略)
年をとったからといって、どうして、人生を「おりる」必要があるだろう。寺内きんさんではないが、最後まで人生の捕虜にならず、戦い抜くことのほうが素敵なのではないだろうか。
先輩!
才能と人柄を惜しむ「生きていれば……(きっと素晴らしい作品が)」という声を無視して不謹慎を承知でいえば、文字通り飛び回る空で死ねたら本望だったのでは。
私なら、きっとそうだ。
いつか、どこかの空で、パッと散る、そんな死に方をしたい。