季節と情緒の結びつきをしんみりと感じる小説だった。
寒い冬は心が閉塞的になり、それが終わって春になれば自然と高揚感が芽生え、夏は夏でさらに開放的になる。
そして、秋。
また長い冬に向かおうと色付く木々や冷えていく風が人々の感傷を誘う。
主人公・信子の叶わなかった恋も、幸福から離れていく結婚生活も、妹を想う気持ちと妬む気持ちの葛藤も、『秋』という季節がぴったり合う。
互いに好意を持ってるのにいろいろな事情があってそれぞれ別の人と結婚した。しかも男の方は信子の愛する妹・照子と。
それだけで切ないのだけれど、別々の道を歩み始めた二人が数年の時を経て再会した夜の短い場面では、もうどうなっちゃうのよ、どうにでもなっちゃえばいいよ! と先を読む手が止まらなくなった。
月は庭の隅にある。痩せがれた檜の梢にあつた。従兄はその檜の下に立つて、うす明い夜空を眺めてゐた。
(中略)
暫く沈黙が続いた後、俊吉は静に眼を返して、「鶏小屋へ行つて見ようか。」と云つた。
ここでドキドキ最高潮(うっとりしながら何度も読む)。
月のきれいな夜に、二人きり(照子は寝ている?)で、人目のつかない鶏小屋に……
ああ、もうこれは引き返せないやつだ。
と思いきや、鶏小屋でどうしたこうしたという描写は一切なくて、それが肩透かしではなくむしろ想像をかきたてるのが巧い。
二人が庭から返つて来ると、照子は夫の机の前に、ぼんやり電燈を眺めてゐた。青い横ばひがたつた一つ、笠に這つてゐる電燈を。
起きてたんかい!
やばいやばい、修羅場になる。
と思いきや、修羅場にならない。ことごとく私の安易な推測を裏切ってくる。
しかし何も起こらないわけはない。
「照さんは幸福ね。」
(中略)
「御姉様だつて幸福の癖に。」
つかみ合いの喧嘩にも言い争いにもならない代わりに、遠回しな噛み合わないやり取りが、かえってこの姉妹に生まれつつある、いやもしかしたら最初からあった齟齬を際立たせていてなんだか怖くなる。
「悪かつたら、私があやまるわ。私は照さんさへ幸福なら、何より難有いと思つてゐるの。ほんたうよ。俊さんが照さんを愛してゐてくれれば――」
さてどう決着がつくのかと思っていたらこの台詞が出てきて、一気に私の心向きが変わってきた。
こういう自己犠牲的な愛に私は悪意を感じてしまうのだ。
自分の気持ちを押し殺して、家族のために、誰かのために、というのは清く正しいことだとは思う。
でもこれは明らかな大嘘であり、信子は照子が月夜のことに気づいてないと思っているにしてもこんな嘘は言った本人が善い人であろうとするための言葉に聞こえる。
前半は信子の密かな恋心の背中を押したくなる気持ちだったのに、この台詞でそんな気も萎んでしまった。偽善者は、嫌いだ。
ともあれ、年がら年中暑い暑いと汗をかいている土地でこんな繊細な文学は生まれまい。
私自身、良くも悪くも「だいたいのことは気にしない」という大雑把な気風に染まりつつある。
だからこそ、日本文学の素晴らしさに改めて気付くことができるし、誇らしいような気持になった。
今日もここは、暑い。