乱読家ですが、何か?

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【映画】砂の女

 

 

 小説『砂の女』が映画になっているというのを聞いた時は、あの砂の世界を一体どうやって映像化したのか(そんなことが可能なのか)と半信半疑でいたのだけど、運良くYouTubeで観ることができた。

 

 

 日本で砂丘といえば、行ったことはなくてもまず鳥取砂丘が思い浮かぶ。

 で、この映画も撮るとすればそこしかないだろうと推測しつつ調べてみたら、なんとロケ地は浜岡砂丘だった。

 

 静岡県出身のくせに同じ県内に砂丘があることを住んでいた頃はまったく知らず、初めて聞いたのは仕事の関係で静岡に住んでいた県外出身者からだった。

 その人に連れられて一度だけ行った砂丘の記憶は朧げにしか残っていないが、映画の最後の方で映し出された砂浜と海の場面で「ああ、こういう感じだったな」と薄っすら蘇った。

 

 それにしても、文章で表現されていたあの砂に埋もれかかる家の様子が忠実に再現されているのには驚いた。

 実際起こり得る現象かは別として、毎日砂掻きをしなければどんどん積もってしまう砂、蟻地獄のようにぐるりを囲い、登ろうとしても掴みどころなく指の間から零れ落ちていく砂、家の中でさえ体に纏わりつく忌まわしい砂……。

 

 不快で不便なのは間違いないのだけど、砂まみれの状況下でもそれ故の細かな工夫――薬缶の注ぎ口には常に覆いを被せるとか、乾いた砂で食器の汚れを落とすとか――が見えてくると、どことなく「丁寧な暮らし」ぶりが窺えて、そう悪くもないようにも映る。

 

 比してはじめは切望していた元の生活が、果たしてそんなに良いものだったのだろうかと男は自ずと感じていたはずだ。

 

 さて映画では、そこに住む「女」を若き日の岸田今日子さんが見事に演じている。

 声を聴くとどうしてもムーミンを連想せずにはいられないけど、それを上回って妙な色気を放ち、かと思えばモッコの男に勝気な態度で応じている。

 

 男の方は、小説内だと時代を差し引いてもかなりの低身長(確か百五十八)だったから、石井正則さん(元アリtoキリギリス)のようなフォルムをイメージしていたが、映画では普通の男の人だった。

 

 

 

 この映画を観た友人が、女役は今なら壇蜜がぴったりだと言っていた。

 なるほどと思いながら私も考えてみた。

 決して派手な顔立ちの正統派美人ではなく、幸福から敢えて距離を置いているような、それでいて単なる薄幸とも違う、秘密裏に何か意外なことをしていそうなタイプがいい。

 はじめに浮かんだのは木村多江。あるいは池脇千鶴。どちらも砂が似合う。

 

 

 

 ともあれ、これもまた原作と映画どっちがいい論争を超えた、文字だけで味わう不可思議さも良し、画で観る奇妙さも良し、という作品だった。

 

 幸い英語字幕が付いていたので、早速英国人の友人にもおすすめしてみた。

 What a crazy film! とでも言うだろうか、感想が楽しみだ。