英語が話せるようになりたい
私にとって数少ない願望のうちの一つであり、また長きにわたって思い続けていることでもある。
にもかかわらず、私のちゃんとした英語学習歴は大学に入るまで。
中高ではとくに英語が得意というわけでもなく、しかし苦手でもないという程度だった。
切実に英語力を必要としたのはバックパッカーになってからのこと。
まだスマホもなく、電子辞書しか頼りになるツールがなかったので、ほぼ自力でどうにかするしかなかった。
それでも、「今晩空いている部屋はありますか?」「〇〇行のバス乗り場はどこですか?」のような旅行のための英会話本の最初に出てきそうなフレーズぐらいは使えるので、目的地に辿り着くことはできるし、お腹を満たし屋根の下で寝ることは問題なくできる。
ヨガクラスやマッサージ学校の授業も全部英語だけど、基本的に身体の使い方の説明なのでそう難しくもないし、知らない単語が出てきても、見よう見まねでできることが多い。
私が英語に苦しめられた、本当に苦しんだのは英国人の恋人ができた時だった。
結論からいうと、私は言葉の壁を越えられなかった。
私たちの共通言語は当然のように英語だったので、彼は100%自分の言葉で話し、私はそうではない、その強制的かつ圧倒的不利な状況にどうしても耐えられなかったのだ。
彼は当時既に10年以上アジア人に英語を教えている経験があったので、どのレベルの話者であろうと根気よく聴き取り理解してくれたし、私の下手な英語を馬鹿にすることは一度もなかった。絶対に間違った言い方をしたとしても指摘したり正そうとすることもなかった。
それでも、日常生活のなんてことない会話をはじめ、自分のこと、家族のこと、将来のこと、人生観、と伝えたい内容が深まれば深まるほど私のフラストレーションは溜まる一方だった。
本当はこう言いたいのに。日本語なら微妙なニュアンスも伝えられるのに。
何百回何千回と思った。
些細なことで喧嘩になると、もともとの原因よりもそのやり取りを英語でしていることに腹が立ち、最終的にいつも「なんでこの問題を“英語で”話さなければならないのだ!」という怒りに変わり、彼が悪いのではないとわかっていても理不尽にその怒りをぶつけた。
酷い時は「英語が世界の共通言語だなんて誰が決めたんだ!馬鹿か!」とわけのわからないことを大声で叫んだ。
unfairness
それが私にとって最後まで受け入れることができなかったことで、彼自身を好きかどうかというところから離れた理由で別れることになった。
彼といた時もその後も、大した英語力のない日本人×外国人の国際カップルを度々見かけたが、私からすると一体どうやってコミュニケートしているのか疑問である。
そんな拙い英語で意思疎通できているのか、いやできていないはずだ、なのになぜ一緒にいられるのか、不思議でしょうがない。
もちろん当人に訊ねられるはずもないので勝手に導き出した答えは、下手な英語でも「私は英語を話せます」と言い切れる根拠なき自信満々タイプか、「お腹すいた」「疲れた」「これ欲しい」程度の意思は伝えられるので困っていませんという言語交換に執着がないタイプのどちらかなのではという仮説。
幸か不幸か、私は母国語ですら言葉に引っかかりを感じる性質である。
恋愛関係に限らず、言葉のチョイスで他人を評価するし、大好きにも大嫌いにもなる。
細かいニュアンスが伝わってしまったが故に幻滅、という場合もあるけれど、それでも相手の人となりを知るのにやっぱり言葉は重要だと思っている。
ともかく彼といた2年弱、電子辞書を引き引き、「あの時言いたかったこと」「あの時わからなかったこと」を頭に入れていった。
人生で最も英語学習に情熱というか怨念を込めていた時期だったと思う。
そんな努力も結局功をなさず壁は乗り越えられなかったけれど、だからといって英語はもういいやとはならなかった。
熱心に勉強する必要はなくなったにしても、やっぱり話せたらいいなあと思う。
インターネット時代になったこともあり、気軽に英語系チャンネルだって見れるし、わからないことはググればいいのだから、環境としても格段にハードルは下がっている。
とはいえ、言語を学ぶのは大変であることに変わりはない。
それは私がプロとして日本語を教える立場になってますます感じたことだ。
言語習得に終わりはない、まさに果てしない旅だ。
まるで陸の見えない大海に身一つで放り出されたようなもの。
どこから何をやっていいのか、さしあたり近場の水を掻いてみるも一向に進んでいる実感が掴めない。
かと言って動きを止めれば沈んでしまう。だから、何よりも大事なのは継続すること、それしかない。
それしかないけどそれが最も難しい。
新しいことを理解する、憶える、使う、というのは苦痛を伴う作業で、だから続かない。
私でいえば、急に熱心に英会話チャンネルを見続ける期間があったかと思えば、ぱたりとやめる。
せっせと英語でジャーナリングしてみては、しばらくしたら投げ出す。
そんなことを何度となく繰り返してきた。
結果、まだ「私は英語を話せます」と堂々と言えない有様。
そしてもう何度目のターンかわからないけれど学習意欲が再燃して読んだのがこの本というわけだ(ここに辿り着くまでの前置き長すぎ!)。
英語系YouTubeでお気に入りの先生は何人かいるのだけど、中でも私が一番信頼しているAtsueigoのAtsuさんがお薦めしていた文法書がこの一冊で、これを10周読み込めと言っていた。
構成は本当に基本的な英文法なので、「これは知ってる」「これも大丈夫」と既に理解できているところはざっと読みつつ、曖昧だった項目や苦手意識のあるところはじっくり読む、そんな感じで1周目を終えた。
具体的にはasの使い方、仮定法とか時制が出てくると一気に溺れそうになるのだけど、そこにぽんと投げられた浮き輪のような存在として本書の有用性を大いに感じ、同時に1周やっただけでは身につかないこともよくわかり、最低でも5周はしようと思っている。