華岡青洲というのは実在した人物で、「世界で初めて全身麻酔を用いた乳がん手術を成功させ医師(私はこの小説を読むまで名前すら知らなかった)だそうだ。
日本ではなく世界で、しかも江戸時代に、というのがどれほどの偉業であったかを物語っている。
青洲の父もまた医者で、その医家に青洲の妻として嫁いだのが主人公・加恵。
そもそもそこへ嫁ぐことになったのは姑となる於継が加恵を見込んでのことだった。
加恵は加恵で地域で評判の「美しく賢い女性」として知られていた於継に憧れていた。
青洲を見たことすらないのに断らなかったのは他でもない於継からの申し出だったからだ。
が、実際は……
姑と嫁が心を許し合い仲睦まじく暮らせるわけがない。
そのことを私は小学生の頃から知っていた。
私の父が長男ということもあって、父方の祖父母&曾祖父の後妻である曾祖母と、私たち一家(父母姉私)は二世帯住宅に住んでいた。
玄関も台所も浴室も何もかもが別々なので、同じ敷地にいても基本的には生活をともにしていたわけではない。
とはいえ、姑(祖母)と嫁(母)の間では数えきれないくらいの諍いがあった。
今思えば、なにしろ愛されジャイアンの嫁なんてまあ扱いにくいだろうし、目の上のたんこぶみたいな存在だっただろうと、祖母に同情する。
しかし、子供だった私にとっては、母の敵である祖母は私の敵である。
優しい曾祖母にばかり懐いていたのは、物心つく前から本能的に祖母を警戒していた現れだと思う。
母VS祖母の争いでよく憶えているのは、何かの時のために互いの合い鍵を持とうという祖母の提案を受け入れまいとして必死に抵抗していた母の顔。
父に「絶対に嫌だ」とものすごい勢いで言っていたが、そりゃそうだろと思う。
祖母はいかにも私たち一家が留守の間に合い鍵を使って忍び込み何かを見つけ出そうと侵入しかねないような嫌らしい人だったから。
それ以外にも日常的に「お義母さんにこんなことを言われた」「こんなことして信じられない」という母の愚痴を浴び続けていたので、ますます私は祖母が嫌いになって、仲良しの同級生にも「うちのおばあちゃんは嫌味ったらしい婆だ」と悪口を言いまくっていた。
高校を卒業するまでその家に私は住んでいたけれど、結局最後まで祖母に対して愛情を感じることなく、心が通う会話もしたことがなまま、彼女は他界した。
私はそういう世の中に二度と女には生れ変りとう思うませんのよし。私の一生では嫁に行かなんだのが何に代え難い仕合せやったのやしてよし。嫁にも姑にもらないですんだのやもの
青洲の二番目の妹・小陸が病死の間際に残したこの言葉のなんと率直なことか。
小陸と同様、もう姑とどうのこうのなんてことはない人生を歩んでいる私は同じように幸福を感じる。
他方で、加恵と於継の敵対関係の根底にあるのが間に青洲を挟んでの「女」同士の闘いであるということには驚いた。
双方とも、自分の方が青洲に尽くしているのだということを見せつけたい、そのためなら命をも捧げるという姿勢なのだ。
ジャイアンと意地悪婆の間にその要素は一ミリもなかった。
どちらも父に対して「女」的な独占欲を持つタイプではなかったし、故に父に気に入られたいがための張り合いではなかった。
となると、なぜそんな水と油みたいな相容れない関係になるのか疑問でもある。
立場的に姑として嫁を支配したい祖母と、敬愛できない女に従うのはごめんだという母。
くらいのもんかなあと、若い頃は思っていた。
けれども、自分の年齢が当時の祖母に近づいてみると、祖母もなかなかの茨の道を歩んできた女性だったのではないかと想像がつく。
祖父はなんと14人兄弟(途中で後妻に代わったので産んだのは2人の女性)の長男だったのだ。
つまりその嫁となった祖母は結婚したことによりいきなりすごい数の義兄弟とその配偶者に囲まれるような場面を乗り切らなければならなくなったわけだ。
私が幼い頃は、毎年元日は何人いるかわからない親戚どもが祖父母の方の家に集い、宴会をする習わしがあった。
同じような禿頭がずらりと並び、同じようなおばさんパーマをあてた女たちがその間間に座り、好き勝手に飲み食いしていた。
たくさんお年玉もらえて嬉しいなー
と、次から次へとできあがる料理やビール瓶を宴会の間に運ぶ手伝いをしながら、私は呑気に思っていた。
が、祖母にとっては小姑だらけの大運動会。
まぢで無理ゲーなんですけど! と逃げ出したいことだって絶対あったはずだ。
あとで一人で泣いたことだって、何度もあったかもしれない。
大量の揚げ物をひたすら揚げ、大量のおでんを煮込み、大量のおにぎりを握り、下げられた大量の食器を洗う、そんな役目を黙ってこなしていたなんて今の私なら尊敬できる。そして、一度もその祖母に労いの言葉をかけることがなかったのが本当に悔やまれる。
そんな祖母が、唯一下に見ても許される存在である嫁にちくちくと皮肉まじりのことを言うのはある意味仕方がなかったのだろう。
芋づる式に蘇る祖母との思い出は、やっぱり「嫌味な婆」の側面が多いけれど、もう少し彼女の人生のあれやこれやを聞けばよかった。
海外にいるのをいいことに法事は欠席、帰国してもろくにお墓参りもしていない体たらくを反省し、次回はちゃんとしよう、なんてしんみり思っている。