みゆたん、さっきはごめん。
今日は完全に俺が悪かった。
心から謝りますから、許してください。
今度また会ってください。お願いします。
あなたと会ってエッチすることしか、俺には楽しみがありません。ほんとです。
こんなメールを書いているのは、十九歳男子ではなく五十九歳のおじさん。送る相手は長年の愛人。
キモーーーー
とは、ならなかった。
家庭と愛人宅を行ったり来たり。
会社では派閥争いであっちへつこうかこっちへつこうか。
遺産問題を巡って妻と妹はバチバチ火花を散らす。
まあとにかく板挟みになっては蝙蝠のように両方にいい顔をして、さてどっちが自分の得になるか打算だらけ。
傍ら、頭の中はエロい想像も盛んにはたらき、若くてきれいな女性と見れば「あわよくば」と欲望が膨らむ。
「こんなこと言ったらセクハラになっちゃうよな」と、今の時代のコンプラに警戒心は持ってはいるものの、つい溢れ出てしまうこともしばしば。
なのに。
どうしてもこのおじさん(主人公・薄井)は憎めない。むしろ可愛げすら感じる。
なぜか。
このメールにもあるように、「ごめん」と言える人だから。その一点に集約されていると思う。
「心から」と言いながら実際はその場しのぎの表面的な謝罪で、「心」は下の方だったりするにしても、この年代の男性が「みゆたん、ごめん」なんてなかなか謝れないものだ。
たとえば私がこのブログでキモいキモいとディスってきた『ルビンの壺が割れた』(宿野かほる著)のおじさんとか、あるおじさん作家なんかは、こういう謝り方はしないはず。しないというか、できない。
「あたしも行くわよ」
薄井は驚いて、振り向いた。
「いやに積極的だね」
史代が不機嫌に返した。
「あら、あたしが行っちゃ悪いの?」
「まさか、構わないよ」
「だったら、わざわざ、そんな風に言わなくたっていいじゃない。あなたの言い方って、厭味っぽいところがあるのよね」
「ごめん、すみません」
(中略)
「何か、派手だねえ」
(中略)
「悪い?」
史代が肩をそびやかして、クローゼットからコートを取り出す。
「いやあ、悪いはずがない。綺麗だよ」
浮気がバレて立場が弱くなっているせいでもあるが、妻にも謝る。
その上、(本心ではなくても)褒める。
おじさんといえばプライドが高い褒めろ褒めろの生き物だと一括りにしちゃいかんなあと、反省した。
年齢や性別は関係なく、可愛げというのは大きな魅力だし、ある種の才能だと思う。
いくら身に付けたくても、意図的にそうすると途端にあざとさやブリッ子のような逆方向へいってしまうのだから難しい。
私もできれば可愛げのあるおばさんでありたいと常日頃から願ってはいるけれど、天性のそれがない場合はどうすりゃいいのか、まだ答えは見つかっていない。