乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#129 きれいなほうと呼ばれたい  大石圭著

 

 

 一気読みしたい! と期待が膨らむ出だしで始まる小説だった。

 

 まずタイトルが、「きれいな人」ではなく「きれいなほう」というのは紛れもなく誰かと比較した上でそう呼ばれたいという女心を率直に言い表わしている。

 単に綺麗だ綺麗だともてはやされたいのではなく、蹴落とす対象の存在を匂わせている分、より執念を感じる。

 

 

 だいたい女が二人いたら比較される。

 容姿はもちろん、いろいろな面で比べられて、〇〇なほうという言い方を(勝手に)されるのはよくあること。

 

 私の場合は、もっとも身近にいた同性といえば一つしか年の違わない姉であり、しかも中学高校が同じだったから普通にそういう見方をされていた。

 

 具体的には、私は姉と比べて「(体の大きさも齢も)小さいほう」で「素行が悪いほう」だった。けれど、「成績が良いほう」であり「奔放にやっているほう」でもあって、別に悪いことだけというわけではなかった。

 

 

 主人公の話に戻すと、勤め先スポーツジムの受付でペアになっている女の子が男ウケするタイプなので、そっちが「きれなほう」で、実際にそう呼ばれているのを耳にすることもある。

 つまり自分は「きれいじゃないほう」認定されていて、それが合コンのようなその場限りではなく日常のこととなれば、結構しんどいと思う。

 

 そんなところにいたら自ずと「私だって!」と思うのは当然だろう。

 

 

 ジムの会員に美容整形の名医がいて、磨けば光る原石として目を付けられるという展開は漫画のようにでき過ぎている気もするけれど、そのくらいの方がドラマティックでいいのかもしれない。

 しかもその医者がデブでハゲのエロ親父ではなく、まだ三十代のシュッとしたクールな男となれば、これはもうどっぷりフィクションに浸って読めばいいのだ。

 

 

 が。

 結論から言うと、前半(整形前)の期待は後半(整形後)に向かうにつれてみるみる萎んでしてしまった。

 

 では一体私は何を期待していたのかと振り返れば、もっと女性の美への執着とか、女同士の妬み嫉み、整形で美を手に入れた者の心境、それに対する元・きれいなほうの反応、そういう精神面のことを深掘ってほしかったのだと思う。

 

 

 期待に反して半ばからは、整形外科医とその愛人になった主人公のアダルトビデオみたいなセックスシーンがやたらと多いのと、整形外科医の変態性が露わになっていく一方で、完全に別の話にすり替えられたような気になる。

 

 読み終わるまで著者は女性だと思っていたらあとがきで男性だったことを知り、そういうことかと納得した。

 結局、自分好みの容姿に作り上げた女を抱きたい男の欲望の話じゃないか、と。

 

 最後のオチも、そのやり口で終わらせてしまうのかと落胆しかなく、これはコントなら完全にスベってる状態だな、と冷めた目でしか見れなかった。

 

 そう考えると男性でありながら整形する女性主人公を書いた百田尚樹氏(『モンスター』)のすごさが改めて伺える。

 

 好みの問題でもあるけれど、ここまで読み始めと読み終わりの気持ちに差がある小説というのも珍しい。

 

 そういえば、又吉直樹さんが『夜を乗り越える』の中で「面白くない本はない」「面白くないと思うのは読む方に問題がある」と言い切っているのを読んで、なんて優しい人なんだと感服したのを思い出した。

 

 私は未だに又吉さんのような寛容な読者にはなれていないようだ。