この短編は、昭和初期の『だめんず・うぉ~か~』として読んだ。
冒頭から母親に「おとこうんがわるうて」(注:本文では傍点付)と嘆かれている、そして本当に男運が悪いというか、だめんずに弱い主人公。
私はその男と二年ほど連れ添っていたけれど、肋骨を蹴られてから、思いきって遠い街に逃げて行ってしまった。
一人目も二人目も暴力夫で、とくにこの二人目が酷い。
何これ本谷有希子?! と錯覚するような破滅的な夫婦生活。
なんだけど、逃げた後がさらに悪い。
街に出て骨が鳴らなくなってからも、時々私は手紙の中に壱円札をいれてやっては、「殴らなければ一度位は会いに帰ってもよい」と云う意味の事を、その別れた男に書き送ってやっていた。
自らを「私はあれほど、一人でいたい事を願っていながら、何と云う根気のない淋しがりやの女であろうか」と分析しているが、単なる淋しがりではこうはならない。
DV男から離れられない女性の典型的な心理である「この人は私がいなければダメ」と思うことでしか自己の存在意義を保てない、そこに関係を断ち切れない原因があるのだ。
とくに、「会いに帰ってもよい」という「会いに行く」でも「会いたい」でもない言い回しが依存症的で引っかかる。
淋しさだけなら誰しも持つ感情だけど、これほど酷い暴力を振るった男に金を与え、この期に及んで会いたいと言われたがっている時点で、「私はこの人がいなければダメ」な状態に逆転していることに気付いた方がいい。
それに比べると現在の夫(三人目)はなんとなくいい感じに見える。とりあえず手は上げていない。
けれども、冷静に考えれば打擲しないというごく常識的なことをクリアしているだけで、定職に就かず日雇いのような仕事でしのぐ芸術家きどりのダメ亭主だと、私には見える。
「鱗と云えば、お前が持って来た鯉の地獄壺を割ってみないかね、引越しの費用位はあるだろう」
「そうねえ、引越し賃位はね……(中略)」
「拾七円だってかまうもンか、いい仕事がみつかればそんなにビクビクする事もないよ」
そういうとこだよ。
「鱗と云えば」って、鰺食べてただけなのに無理くりそっちへ話を持っていく。
ろくに働いてもいないくせに、妻が小銭をせっせと貯めてきた地獄壺(文脈から陶器の貯金箱)を割ろう、そして引越し費用に充てようとノリノリのこの夫も、やはり信用ならない。
それが兵隊に行くあたりから一変する。
「おいッ!」
与一はもうキャラメルを一ツむいて、頬ばったらしく、口をもぐもぐさせて私を呼んだ。
「何?」
「キャラメル一ツやろう」
汽車に乗ってすぐにおやつを食べてしまう子どもっぽさ、でも一つ分けてくれる優しさ。
不覚にも、なんかカワイイと思ってしまった。
その後、与一は兵営から何度も何度も妻に向けて手紙を送る。
一人で家を守る妻を慮り、恋しがる甘い言葉の羅列。
兵隊に行くというのがそういう心境の変化をもたらすものなのか私にはわからない。
にしても人間そんな簡単に変わらないだろうに、と一応まだ疑いを捨てずに観察しつつ、この人、見た目が結構なイケメンなんじゃないかと勝手に推測する。
顔が良くてマメとなれば女としては赦したくなってしまう。赦すしかない。ずるい。
だめんずに弱いのは私も同じ。なのでひやひやするような気持ちで読み、どうかこの主人公には与一と幸せになってほしいと、フィクションの中の人なのに真剣に願ってしまった。
そうしてまた、海の向こうで我が母が、「あのこはおとこうんがわるうて」とこぼしていやしないかと心配になったりもした。