愛すべき屑男を書いた名作。
屑とはなんぞや。定義は人それぞれ。
所謂「飲む打つ買う」がその典型ではあるが、この小説の主人公はまあとにかく働かない屑。
しばらく働いたとしても、すぐ辞める。即ち生活力に欠ける屑。
なのに憎めない、むしろ可愛いいとさえ思ってしまうのは私だけではないはずだ。
※なので、以下登場する「屑」及び「屑男」はdisrespectではなくご愛敬を含めた呼び名です。
屑のくせに冷蔵庫の鶏卵ポケットの並びには強くこだわる。
急に家庭に「うるおい」のルールを作る。
息子が産まれ、閃きだけで「靴」と名付ける。
私的には太宰治(及び作中のダメ男)を赦してしまうのと同じスイッチが発動しているだけなのだけど、これって世の男性からしたらものすごく不可解且つ不愉快な現象なのかなと、ふと思う。
一般常識をわきまえて、真面目に会社に行って、こつこつ貯金もして、それなりに容姿にも気を配っていて、それでもなぜかモテない男たちの妬み嫉みの声を聞いてみたい。
そして言いたい。
おそらくこの主人公にあってあなた方にないものは、可愛げと色気なのだと。
しかし、屑男に惹かれる=屑男と添い遂げる素質がある、ということではない。
私の屑愛好歴(というほど多くはないが)は、高校時代の彼氏からその兆候が見えはじめ、大人になっても何度か屑男に吸い寄せられては振り回されてきた。
もちろん「この屑め!」と思っているのではなく、振り回されたと言っても相手がそう望んだのでもない。私が、そうしたかったのだ。と全て自発的なものだと思えるところまで含めて屑に溺れる。それが幸か不幸かは別の話。
中でも、ネパールという小さな国で出会った人(現地人)との恋はままならないものだった。
その人も、働かない屑だった。
とはいえ、そこはお国柄というか、国全体が物資もエネルギーも何もかもインドに頼らずには成り立たないような国なので、日本人の目から見れば「ちゃんと働いている人」なんてほんの一握り。
地道に農作業や観光業に精を出す人々は存在しているけれど、街には「この人はいったいどうやって生計を立てているのだろうか?」と思うような大人がぷらぷらしている。
彼らには、働かないというよりは働く気があったとしても働けない(就職という概念すらなさそう)という側面があるのだ。
それでどう見ても経済的余裕はないはずなのに、食うには困っていないというか、仲間内で「その時」お金を持っている人が出す。無い人は、出さない。それで言い争いにもならない。悲壮感もない。
私の彼もそういうぷらぷら系の人で、一時的にトレッキングガイドとしてツーリストから高額な収入を得たり、得たかと思えば豪勢に瓶ビールを周りにも振る舞い、金が尽きればまた収入がない日々が続いたり、とにかく安定しない生活をしていた。
ただ、「日本人は金持ち」幻想がまだまだ強かった時世にもかかわらず、私には1ルピーもせびったりすることがなかったのと、なにより見た目がものすごく良かったのでしばらく一緒にいた。
が、私とて無収入のバックパッカーで、いくら物価が安いといっても貯金が減っていくには変わりはなかったので、どうしたら彼との暮らしが安定的に持続できるか頭を悩ませていた。
結論からいうと、無理だった。
そこに至るまでのこと全部は書ききれないけれど、「無理」のジャッジは国勢のせいではなく、彼の根本的な屑なところにあった。
いくら私が真剣に考えて、打開策としてやるつもりもなかった仕事を始めてみたりもして、それで莫大なストレスを受けて精神をすり減らしても、彼は何もしなかったし、何も変わらなかった。
基本的には優しい人だとか、うっとりする程のイケメンだとか、そんなことで相殺できる余裕は私にはなかった。
最後のきっかけとなったのは、私が後にも先にもないようなバッドに入ってしまったこと。
相変わらずへらへらと生きている彼の眼を見ていたら、形容し難い恐怖に襲われて、気づいたら「Help meeeeeee」と叫んでいた。
前後の記憶は飛んでいるけれど、それ以降、私は静かに彼から離れていった。
そんなことを思い出しながらこの小説を読んでいると、主人公の妻の鷹揚さと許容範囲の広さに脱帽する。
「なにが原因よ。なにが経緯よ。あなたが昼間から酒ばかり飲んで働かないからこんなことになるんじゃないよ。この唐変木或は馬鹿」
こんな罵声を浴びせるわりに、夫の突拍子もない言動に対して「は?」と疑問は持ちながらも却下はしない。
十数年経っても、じゃああの時私はどうしたら彼と居れたのだろうか、あのままネパールにいたらどうなっていただろうかと、詮無いことを考えたりする。
ちょっと奥さん。
最後の最後は信用できるような核となるものがあるのか、こんな人でもいないよりマシと思っているのか、私がもっと楽観的な人間なら良かったのか、数々の疑問を質したくなる。
私に足りないのは、屑の一人や二人どんと養ってやる!という経済力だと思っていたけれど、どうやらそうではないから。
百貨店を出たわたしと妻は、タイ料理屋で飯を食って家に帰った。
仲良く腕を組んで。
この場面で言い様もなくぐっときた。
こんな屑夫が身近にいたら妻はたまったもんじゃないだろうと思っていたけど、なんだ、愛に満ち満ちているんじゃないか。
茶柱は立つ。否、もう立っているよ。