乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#158 やっぱり私は嫌われる  ビートたけし著

 

 

 私の中では「タケちゃんマンだった人」で「フライデー事件の人」でしかなかったのが、いつの間にか世界のキタノとか言われるようになり、さすが! みたいな扱いになっていることにずっと納得がいっていなかった。

 

 お笑い芸人としても、映画監督としても、俳優としても、どこがすごいのかがわからない。そして彼のすごさがわからないことが「わかってない」ことになる空気がわからない。

 すごいすごいと言う人たちは、すごさの本質はさておき「みんながすごいって言うから」すごいと言っているようにしか見えない。

 

 長い間に培った強い偏見と抵抗を持ちながらこの本を読んだせいもあってか、やっぱり好きになれなかった(その意味でこのタイトルはすごい!)

 

 

 書かれたのは平成初期。

 だから今の令和の風潮に合っていないといってしまえばそうなんだけど、どの時代だろうが根本的な男尊女卑思想は受け容れ難い。

 

 私はいき過ぎたフェミニストは好きではないし、万人がフェミニストであれとも思わない。が、にしても、だ。

 

 

「だから女は嫌われる」という章があって、ここでいう女というのは主に「女のくせに政治家になったおばさん」として土井たか子氏がやり玉として挙げられつつ、おばさん全体をこき下ろしている。

 

 政治家に限らず、社会に対してギャアギャアいうおばさんたちは、男に可愛がってもらったことがないんだね。男からやさしくしてもらえないものだから、逆に男に対して妙な形で強く出ようとする。

 

 前提として「女は黙ってろ」というのがまず間違いだと思わないのだろうか。

 そして、ギャアギャアいうその内容はともかく、容姿や男性からの扱われ方を攻撃することの的外れ具合にも気づいていない。

 

 それを言うなら逆はどうなんだ。

 偉そうにふんぞり返っている腹の出た醜いハゲのおじさんは、女性から愛されてこなかったから金と権力を使ってホステスにちやほやされ溜飲を下げているんじゃないのか。

 

 百歩譲って、女性蔑視の思想を持つことは自由だから、どう思っていようが構わない。

 ただ、このようにメディアで公言する、したくてたまらない、というのは内心女を恐れていることの裏返しなのではないかと勘繰りたくもなる。

 エディプス・コンプレックスをこじらせていると言ってもいい。

 

 どれだけ下に見ようとしたところで自分を産んだのは女(母)であり絶対的に降伏せざるを得ない事実と、男は強く女は弱いという強固な教育を受けてきた矛盾から、女にひれ伏す気持ちをひた隠しにしている。これは幼稚だし、品がない。

 いい大人が「お前の母ちゃん出ベソ」と吠えているのと同じで、エッヂの効いた毒舌ですらない。

 

 せめて、「女」「おばさん」と括って攻撃するのなら、容姿や年齢にすり替えずに、女性ならではの陥りがちな思考とか行動傾向を知的なやり方で指摘するべき。

 

 

 とはいえ、全部が全部ではなく、教育に関する章では同感できた部分もちょこちょこあった。

 

 教育もそうで、いじめを根絶しようといったって土台無理なんだよ。生徒が沢山いれば、クラス内に差別は出来るし、バカにされることだって当然ある。そういうちっちゃなことでも、本人の性格によっては、自殺するような大げさな取り方をしてしまう。

 かわいそうだけど、あの子供は精神的に弱かったというしかない。

 

 

「いじめは、なくならない」と私も『ヘヴン』(川上未映子著)の感想で断言していたので、お、いいこと言ってる! と思ったけれど、結局そこでもマスコミのことを「おばさん感覚のエセヒューマニズム」と差別的発言をしているので、全体として著者に対する印象は変わらない。

 

 

 本気でもボケだとしても笑いとは程遠いこのセンスの持ち主が、どうして芸人として名を馳せ、その他のエンターテイメントでも成功しているのか、ますますわからなくなった。

 

『やっぱり私は嫌われる』の裏には、そんなふうに言いながら本当は人気者だとわかっているという反語的な自負を含んでいるようにも見えるので言っておく。

 

 

  やっぱり、私は、あなたが嫌いです。