乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#142 中年だって生きている  酒井順子著

 

 

 先月私は48歳になった。36の年女ではなく48の年女。

 思えば遠くへ来たもんだの心境で、もうすっかり自分が中年であることを認めている。

 

 けれどもまだ心のどこかに若さにしがみつきたい思いがあることも自覚している。

 自らをおばさん扱いする(ことで笑いをとる)のは大いにアリだけど、他人にされたらムッとする(実際言われたことはないけど、人に言われたら不快であることは容易に想像できるし、きっと一瞬凍り付く間ができるだろう)。

 ムッとするの「ムッ」こそがつまりまだそこまで老いていませんけど! という本音の漏出だ。

 

 

「私なんておばさんだからさぁ」

 と言うものの、それは「こう言っておけば、周囲からは常識的な人だと思われるだろう」という思惑のもとになされる、社交辞令的な発言。

 私を含め、自分のことを「中年ではあるがおばさんだとは思っていない」という人は、「中年」は年齢を示す言葉で、「おばさん」は、精神のあり方を示す言葉だと思っています。

 

 

 著者は「はじめに」の中でまず「中年」と「おばさん」を似て非なる言葉としてこう定義している。

 

 私は中年=年齢、おばさん=精神のあり方、とはっきり区別したことはないけれど、年齢は事実だから仕方ないとしても精神のあり方として老いたというのはまだまだ抗いたく、そうならないように気を付けているし、気を付けていないとどんどんヤバくなりそうで、恐怖すら感じる。

 

 しかし一方で、精神のあり方としての「おばさん力」というのもいいもんだと思うようになってきている。

 

 先日、同世代の友人と彼女のお母様が私のいる国に旅行でやって来て、一緒に楽しい一日を過ごした。

 

 暑い中うろうろと街を歩き、途中でお茶をして、夕方にはすっかりお腹が空いた我々は早めの夕食をということになった。

 

 インド料理屋の前の小路に並べられたテーブル席に座り、さあ食べようという段になったところで、お母様がさっとウェットティッシュを配ってくれる。

 

 そういえばなんとなく手がべたべたしていたし、これからチャパティを手でちぎって食べるのに、一番必要なもの!(ちなみに日本のようにおしぼりが出て来る飲食店はほぼない。)

 薄っすら感動して、ありがたく手を拭き、気兼ねなくチャパティをちぎった私。

 

 もちろん、どうしても手を洗いたければレストランの中に入れば洗えたのかもしれないし、最悪コンビニまで走れば(このご時世だけに)除菌シート的なものは売っているだろう。

 

 でも、今この瞬間に一番欲しい物が入っているおばさんのバッグはドラえもんのポケット並のすごさだと痛感した。

 

 さらにこの後、

友人:蚊に刺された。

私:ムヒあるよ。

母上:大丈夫、ムヒ持ってる。

 

 というおばさん的な会話があって、ムヒ所持率! と心の中で笑いながら、やっぱりおばさんのバッグは最強だと再確認した。

 

 疲れた時用の飴、いざという時のバンドエイドと頭痛薬、いつかわからないけど役立ちそうな安全ピン、そういう物が常に私のポーチにも入っている。

 

 若い頃なら、そんなどうでもいい物で荷物を増やしたらこの可愛い(小さい)バッグに入らないじゃない! と思っていた。

 しかし、おばさんはいつ来るかわからない非常時に備える。非常時がこなかったとしても、それはそれで良しとし、備えを無駄だとは思わない。

 

 

 さて本書の方に戻ると、まあ中年ならではのあるあるだらけ。

 閉経を含む更年期、いつまでもチヤホヤされたい欲、容姿のこと、性のこと、親との関係、感情の変化etc. 

 

 共感できるところをいちいち引用していたらきりがないのだけど、やはり「はじめに」で書かれていた「中」のつく立場の人は皆、どっちつかずの中ぶらりんというのが総じてなるほどと思うところだった。

 

 中学生の中途半端さと中年のそれは、ホルモンの分泌盛りと減少盛りのネガ・ポジ関係だというのがわかりやすい。

 

 大人でも子供でもない中学生。若者でも老人でもない中年。

 

 何を着ればいいものか、私も常々頭を悩ませながら、結局好きなものを着て何が悪いと開き直り、トムとジェリーのTシャツでだって堂々と出かけている。(著者は、中年はキャラクターTシャツを着るべからずとしている。が、私はそうは思わない。)

 

 

 最後に、ことあるごとに「バブル世代だから」というフレーズが出てくるのがこの本の難点であることを付け加えておく。

 チャラチャラしててすみませんと自虐っぽい姿勢をとりながら、本心は真逆だろうと勘ぐるのはバブル崩壊以降に社会に出た者の冷ややかな目線。

 どうしても、「あの頃は最高だった」といつまでも引きずり、「あの時代を知っている」ことを自慢しているように見えるのだ。

 

 

 私だってジュリアナで扇子ぶん回して踊りたかったよ!

 

 という、ひがみでしかないのだけど。