村上龍の最新刊となったら入手必須。しかも紙の本で。
とはいえ、そうタイミングよく古本屋にあるかどうかは運次第。
過剰に期待しないようダメ元ぐらいに気持ちを抑え気味で行ったら、黄色い背表紙が新刊コーナーにしっかり並んでいるではないか。
海を越えて運んで来てくれた人よ、本当にありがとう!
この組み合わせの妙。
『共生中』を書いたことでもわかる通り、インターネットに疎い高齢者なんかでは決してなく、むしろITに明るい人だ。
それにしてもYouTubeという題材は意外というか、どんなものなのか全く予想できず、もうとにかく早く読むしかない。
さて、この作品にもまたお馴染みの矢﨑健介が出てくる。
『メランコリア』『エクスタシー』『タナトス』のヤザキ、『69 sixty nine』の矢崎剣介、『はじめての夜 二度目の夜 最後の夜』のヤザキ、『長崎オランダ村』のケン……それぞれ別の人物ではあるが、著者を投影していると思わせるヤザキが登場すると、お、またヤザキだな、と久しぶりに旧友に再会したような感覚になる。
ご自身も「わたしの分身である主人公」と(何かのインタビューで)言っているので、ヤザキが村上龍の分身であることは間違いない。
が、矢﨑健介=村上龍ではない、とも言っている。「そう思っている人は、作家に騙されているんです」と。
私にとっては、嘘99%:真実1%だろうが、そこは大きな問題ではなくて、ヤザキの物語のどこかに村上龍としてのリアルが組み込まれている、それだけでわくわくする。
登場人物は70歳になる作家・矢﨑健介と、会社を辞めてユーチューバーになることにした自称・世界一もてない男、それから矢﨑といつも一緒にいる女のほぼ3人。
そう言えば、いつもいっしょにいる三十代か四十代か五十代の女がいない。
三十代か四十代か五十代の女、という表現がまさに村上龍。
「年齢不詳」でもなく、「四十代だと思うがもしかしたら三十代」でもなく、「三十代から五十代」でもない、でもそう言われれば三十代か四十代か五十代に見える人というのは確かにいて、そうとしか言いようがないと思わせる説得力がある。
このようなさりげない描写の綿密さについては『ストレンジ・デイズ』の感想でも書いている。
彼女の仕事は、銀行で、資産家の相手をしているらしいということだった。カウンターでお札を数えたりする仕事ではなく、自分の部屋を持ち、富裕層の客を相手にしている。いろいろな仕事があり、たとえば絵画や家具の手配をしたりしているらしい。
銀行の仕事の一つに金持ち相手に絵画や家具の手配をするなんて本当にあるのかどうかはわからない。わからないけど、自分のような庶民が知らないところではそういう業務があるのかもしれないと、見たこともないし一生見ることもないだろうパラレルワールドにいる人々を想像してしまう。
嘘か本当かわからないことなのにきっと存在しているのだろうと確信させる力はどこからきているんだろう。
村上龍はその意味で詐欺師の素質があると言える。
ずっとそう思っていたのだけど、同じインタビューで「ぼくは「騙す」ことに関してはほとんど天才的」と語られていて、やっぱりか! と納得した。
「変だな、こんなことを話したことがなかったんだけど、何か、胸につかえていたことを吐き出したような、そんな感じがするんだ。誰かに話したかったのかもしれないな。でも誰にも話そうとも思わなかった。ユーチューブで話すって、よくわからないけど、案外気持ちがいいのかな。これ、反応を聞けるのかな。つまり聞いた人の感想がわかるのかな」
若かりし頃のエッセイでは「やあみんな、俺は今、マンハッタンの夜景を見下ろしながらこれを書いているよ」みたいなバブリーな俺様ぶりを見せつけていたあの村上龍も、齢を重ねて懐古主義になったのか?
『矢﨑健介 女性遍歴を語る』というユーチューブの撮影だから、当然過去の女性経験について語るわけだし、そこには自慢に聞こえるようなエピソードや蘊蓄も含まれてくる。けれども、昔のようなギラギラした雄っぽさはない。
いや、騙されてはいけない。
これを読んで、「村上龍も齢をとった」とか言うのは、天才的詐欺師にまんまと引っかかっているだけなのだ。
でもこの人になら騙されてもいいか。同時にそうも思わせる、そういうところが男性としての魅力ともなって、ひいては女性遍歴が生まれる連鎖。
「自由」「希望」「セックス」
『限りなく透明に近いブルー』からずっと村上龍が書き続けている3つのテーマは変わらない。
青年が中年になり、中年から初老、そして高齢者になっていく変遷を経て、敢えて勢いを消すことで哀愁を漂わせている(ように見せている)だけに過ぎない。