乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#44 国道沿いのファミレス  畑野智美著

 

 どういうわけか手帳の「読みたい本」リストに著者の名前があって、その理由はまったく憶えていないのだけど、この一冊(デビュー作らしい)だけ馴染みの古書店にあったので読んでみた。

 

 

 主人公は外食チェーンに勤める男性。

 25歳という青春と呼ぶには微妙な年齢だが、大学進学以来離れていた地元に戻り、わだかまりのある家族や新しい恋人や職場での人間関係で悩みながら前進するというアウトラインはまぎれもなく青春小説であった。

 

 その内容にまったく関心がもてないのは自分が老いた証なのか、はたまたもう私には小説というツールが必要なくなってしまったのかと少し落ち込む。

 あるよねー、あるある! という共感もなければ、それでどうなるの? と興味も湧かない。どこを読んでいてもつまらないと感じるのはこれが駄作かどうかの問題ではなく、感じる側の自分の何かであって、ではそれは何なのだろうかとしばらく考えてしまった。

 

  登場人物と自分の年齢差ではないと思う。それなら「ヘヴン」(川上未映子著)の中学生に心をぎゅっと絞られることはない。

  

 この主人公が、可もなく不可もないような平凡な男でありながら、いや、平凡ならではか、とにかく彼の理想の女像みたいなものがただムカつくのだ。

 

 

体型のことだけではなくて、性格的なことを考えても二十七、八くらいが一番いい。ある程度恋愛に慣れているから、何をするにしても楽だ。ヒステリーや嫉妬心はどうでもいいけれど、記念日とかサプライズとか恥じらいとかを求められるのは本当に面倒くさい。結婚の話が出ても、夢半分、現実半分くらいでいられる。

三十代になると、結婚の二文字を強力に、しかしさりげなくちらつかせ始める。(中略)その上、体型的にも落ちていく一方で、性格も見た目も無理になる。重力に反するために筋肉で支えようとしているサイボーグ寸前の体には興味がない。女の子の体に求めているのは男にはない弾力なのだから、腹筋を鍛えているような女はそれだけで引く。

 

 

 はあ? お前、何様だよ。

 

 

 と、かなり前半で薄っぺらさ全開の男の話なんてどうでもよくなってしまった。

  

 現実にはこれが20代男性の本音なのかもしれないけれど、女性の著者が書くってどういうつもりなのだろうか。何の疑問もなくコモンセンスとして書いたのか皮肉を込めてなのか、どっちにしても、そこんとこには興味を持った。

 

 

 こういう奴が20年後に残念なおじさんになるのだろうな・・・。

   

    体型的に落ちていく過程で保たれている筋肉がどんなに尊い努力によるものか、それがわからないような男の腹は醜く弛んでいるに違いない。

 

 「俺も若い頃はヤンチャしてさぁ」と頼まれてもいない武勇伝語って周りがドン引きなのも気付かず一人で悦に入ってろバーカ。