乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#43 だから、居場所が欲しかった。バンコク、コールセンターで働く日本人  水谷竹秀著

 

 

 24時間テレビにせよドキュメンタリー番組にせよ、ノンフィクション本もまた然り、初めにゴール(結論)ありきのストーリー仕立てにはやっぱり異論を唱えたくなる。

 

 この本は、タイ・バンコクのコールセンターで働く(働いていた)日本人をインタビューしたノンフィクションだが、インタビューに応えているのは「日本で生きるには何らかの障害」があり、「逃げるように」バンコクに辿り着いた者に偏っている。

 

 それぞれ経緯は異なるものの、とにかく日本で真っ当に働くことができないからバンコクへ来て日本語さえ話せれば誰でもできるコールセンターに駆け込んだ、駆け込んだはいいがそれで天国というわけではなく、そこにはそこのしんどさがある。

 そんな予めできている筋書きに沿う人物(の話)をピックアップした感が濃く、「借金苦」「風俗」「買春」「LGBT」のようなフックも満載だ。

 

 

 実は私は、1年半ほどの短い間ではあるがこのコールセンターで働いていたことがある。

 偶然にもこのインタビューは私が辞めて間もない頃におこなわれていたようで、必然的に掲載されているのはほとんどが同時期に勤務していた人たちのことだった。

 

 

 

私が取材したオペレーターたちは消したい過去を抱えていることが多かった。たとえばそれは複雑な家庭環境であったり、幼い時に大人から性的嫌がらせを強要されたり、あるいは日本で風俗嬢として働いていたり、恋人の男性に殺されかけたり、同性愛者だったり、といったことだった。それがトラウマとなり、人間不信に陥る。心が屈折し、素直さは失われ、それが強いコンプレックスにつながる。だから自信がない。どこかネガティブなオーラを放っている。次々に出会うオペレーターたちからそんなつらい過去を打ち明けられると、それが彼らの“最大公約数”ではないかという気がしてくるのだった。

 

 

 確かに百数十名の社員(インターン含め)の中には暗い過去を持つ者が一定数いたのかもしれない。けれど、そんなのどこの国のどんな社会にもいて、「居場所」を求めてさまよっている人なんて日本国内の方が圧倒的に多いわけで、敢えてバンコクでそのような人たちに焦点を当てるのは物珍しさと好奇心だけでしかないので好感は持てない。

 

 そして、国の外の実態を知らない人が読めば「へえー、そうなんだ」と思い込むことは想像に易い。

 

 ここに書いてあることはまったくのでっち上げではないし、「バンコクには底辺の日本人がうじゃうじゃ集まるコールセンターがあって、ヤバい生活をしている」と認識されたとて、大した問題ではなかろう。面白ければいいじゃん、といわれてしまえばそれまでのこと。(後半の半分近くをコールセンターとほとんど関係のない夜の歓楽街の話――ゲイに体を売るタイ人男性、ゴーゴーボーイを買う日本人女性――に割いていることもデフォルメの助長になっているように見える。)

 

 

 

 一冊の書籍、一つのテレビ番組だけで(それがいくら‘ノンフィクション’‘ドキュメント’と謳っていても)事実の全体や細部にわたり知ることはほぼ不可能だ。現場にいたことのある私だって、真実を把握しているわけではない。むしろ氷山の一角しか見ていない。

 

 これは日常会話で耳にすること、インターネットで目にすること、何にでも当てはまる。

 ある一面だけの情報に価値がないということではなくて、それらの集積が見分を広げることになるのだから、一つひとつは必要なもの。

 

 ただ、切り取られた一部を見てそれを全てだと思うことの危険性は認識し、情報を鵜呑みにしてはいけないという意識をもっておかないと、偏った判断をしかねない。

 殊に面白い話なら面白い話ほどそうなりがちなので気をつけよう、そう改めて思うきっかけになった。

 

 

 最後に少しだけフォローすると、ここにはわかりやすい“勝ち組”(立派な企業の駐在員)と“負け組”(現地採用)がいて同じ日本人でありながら生活レベルには格段の差があって、その隙間を縫うように通り過ぎる大勢の旅行者の中にもバカンス謳歌組とダラダラ当てもない長期滞在組がいて、客観的に見直せば確かに変な街ではある。

 ノンフィクションライターならそこにドラマ性を見出したくなるものなのかもしれない。