乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#89 アンダーグラウンド  村上春樹著

 

 

 1995年3月20日の朝のことは、ところどころ記憶にムラがあるものの、未だに忘れもしない。

 怠惰な大学生だった私は、授業がなかったのかサボったのか若しくはもう春休みだったのか、いずれにしても昼まで起きないことも珍しくない生活をしていて、その日も事件のことは知る由もなく惰眠を貪っていた。

 

 そこへ突然鳴り響いた電話(まだ家電しかない時代)の音で起こされ、いまいましい思いで出ると母からだった。

 

私: ……はい。(ものすごく不機嫌)

母: あ! Nちゃん! 家にいるのね?!

私: (電話に出てるんだから家に決まってるじゃん、と思いつつ)はあ・・・。

母: ちょっとあんた、電車……乗ってないでしょうね?!

私: ……は?

母: え、寝てたの? 大変なことになってるのに! テレビ点けなさい、テレビ!

 

 言われるままにテレビを点けたはいいが、何しろ寝ぼけている頭は情報をキャッチできない。なので、今になってもテレビで見た最初の映像がどんなものだったか思い出せない。興奮を露わに報道するリポーターだったか、大勢の人がパニックになっている様子だったかを見たような気もするけれど、それは後から立て続けに流れた映像の記憶かもしれない。

 

「毒ガスが!」「地下鉄が!」と騒ぐ母のテンションについていけないまま、「とにかく無事なら良かったけど。朝はちゃんと起きなさいよ!」と最終的には説教になって電話を切られた。

 

 当時私は住んでいたのも大学も小田急線沿線だったので、地下鉄を利用することはあまりなかった。それでも通学以外では二つ隣の駅から出ている千代田線を使うこともあるから、親にしてみれば私が現場に居合わせた可能性は<ゼロではない>。

(そりゃあ慌てるのも無理はないと、冷静に考えられたのはだいぶ大人になってからのこと)

 

 ちょうどその頃、大学では社会問題について取り上げるゼミに在籍していたので、事件発生後は当面の間「地下鉄サリン事件」で持ち切りだった。

 なぜスーパーエリートといわれるような人たちがあんな集団に入り、のめり込んでいったのか。どういう目論見であんな事件を起こすことになったのか。あの集団を生み出すことになった社会に潜む問題は何か。論点はいくらでもあった。

 

 私にとって何より印象的だったのは、幹部陣がメディアに露出するや否や「じょーゆーさぁ~ん」と黄色い声援を送る“普通の”女の子たちが現れたことだった。

 日本国民の誰をも震撼させた新興宗教団体に属している人物(しかも主要メンバー)だと知りながら、異性として見、素敵だと思い、アイドルを好きになるのと何ら変わらない感覚で追いかける。ある意味、あの教祖の思想に傾倒し帰依する心理よりも理解し難く、薄ら寒さを感じた。

 

 彼女たちにとっては<自分は被害に遭っていない>から全くの他人事であり、滑らかにマスコミに応じている若い男性信者は「悪い人には見えない、むしろ頭も良いし顔も結構イケてるじゃん」と映ったのかもしれない。

 

 にしても! という話なのだけれど、では私があの事件を自分事として捉えていたかといえば全然そんなことはなかった。

 巻き込まれた可能性はゼロでなかったにもかかわらず、今後被害に遭うことだってあるかもしれないにもかかわらず、実感としての危機感よりも<自分には関係ない>という意識の方が大きかった。もっと正直にいえば、事件後に変わった意識としていちばん大きかったのは、コンビニにゴミ箱が無いのは不便だ、という悲しいくらい利己的なものだった。

  

 ここまでは、私にとっての地下鉄サリン事件

 

 本書は村上春樹氏が事件の被害者にインタビューを試み、彼らの生の声を忠実に文字に起こしたものだ。

 

 取材において筆者がまず最初に質問したのは、各インタビュイーの個人的な背景だった。どこで生まれ、どのように育ち、何が趣味で、どのような仕事につき、どのような家族とともに暮らしているのか――そういったことだ。とくに仕事についてはずいぶん詳しいお話をうかがった。

 

「はじめに」にこうある通り、インタビューは「あの日」から始まらない。

 朝のラッシュ時の事件なので自ずと被害者は通勤中(または勤務中の駅員さん)の社会人がほとんどであるが、個々のバックグラウンドが随分遡って語られ、事件に至るまでどんな日常生活を送っていたのかが物語として目に浮かぶように書かれている。これはインタビュアーがジャーナリストではなく小説家であることが利いていると思う。

 

 そこにいる生身の人間を「顔のない多くの被害者の一人(ワン・オブ・ぜム)」で終わらせたくなかった、というインタビュアーの意図はしっかり果たされている。それは同時に、私たちの多くが過ごしている毎日と同じような、ありふれたと言ってもいい、特別でもなんでもない暮らしの延長線上にあんな事が起こった、起こり得るのだ、というリアリティが真に迫ってくる効果も生んでいる。

 

  

 事件は5つの路線で実行された。

 ペアになった実行犯は指示された持ち場でサリンの入ったビニル袋を床に置き、傘の先で刺し(なんと前日には練習をしている)、そこから漏れた毒ガスが約6000人(うち14名が死亡)もの人々に被害をもたらした。

 

 ただ目的地に向かって地下鉄に乗り、人生の中の“とある一日”を始めようとしていただけだったはずが、あるまじき”異常な日”となってしまった。無差別というのはまさにこういうことで、それがどれだけ無慈悲で無惨なことかと、想像するだけでやり切れない。

 

 私が呑気に寝ていたあの朝に、そう遠くない場所で……と、本当に今更だけど愕然とした。

 

 私がその電車に乗らなかった、彼らがいつも通りにその電車のその車両に乗った、あるいはいつもはもっと早い/遅い電車なのに何かの事情でその電車に乗った、どのケースも<たまたまそうだった>ことで、運としか言いようがない。

 

 どんな事故でも自然災害でも、避けようのない偶然の巡り合わせで遭遇してしまう可能性は誰にでもある。

 しかし決定的な違いとして、サリン事件は言うまでもなく人為的な事件だ。

 そこに居合わせたのは不運だとしても、そもそも事件を起こす人間がいなければ、あんな目には遭わない。

 

 それなのに、被害に遭われた方々は、実行犯や主導者に対する怒りを感情的に語っていない。これが本書の中で私が最も驚いた点だ。

 怒りも恨みもないということでは、もちろんない。

 一定のレベルを超えた感情は、もはや大声で怒鳴り散らして発散できるものではなく、彼らは孤独に、腹の底で終わりのない闘いを続けている印象を受けた。めらめらと真っ赤に燃えさかる炎ではなく、鋭く燃える蒼い炎のように。

 

 

 読み終わって、こういうことは、いつまたあってもおかしくないという恐怖が当時よりも実感として湧いている。

 今、世界中にCOVID-19によってシャレにならない打撃を受けている人がごまんといるのだ。

 その腹いせをどこかに向けたい、こんな世の中破滅させてしまいたい、全員道連れだ、そう考える人がいても不思議ではないし、実際いると思う。もしその鬱憤が一つのまとまりとなって行動に踏み出せば、明日にでも同じようなことは起こる。

 国や自治体が未然に防ぐセイフティネットを設置するのが理想ではあるけれど、期待できそうもない。

 

 

 じゃあ私は、私たちは、どう腐らずに生きればいいのか……。

 

 コロナ禍になって、私にもいろいろな角度から影響が及んで、これまで経験したことのない心の揺らぎがあった。

 この心の動きは書き留めておいた方がいいと直感的に思って、コロナによって起きた出来事と自分が感じたこと、自宅待機中の過ごし方、気分の波はどこで生まれてどうやって消えていったか、あるいはなかなか消えずにくすぶっているか、気が付いた時にメモした。

 

 記録したからといって動揺しなくなるわけではなく、やっぱり例年よりもずっと疲れやすく苛立ちやすく落ち込みやすいことに変わりはない。もう何もかもどうでもよくなる夜も、幾度となくやってくる。

 

 最近になってやっと、コロナなんだからこんな弱気な自分でもしょうがない、こんな時もあるさ、と開き直ることもできるようになってきた。

 

 そして今は両方――開き直りと投げやり――の振り幅を減らしていく練習をしている最中だけど、うまくいったりいかなかったりの繰り返し。

 

 

 私だけでなく、地球全体にとって特異な年となった2020年が、もうすぐ終わろうとしている。

 新しい年になっても(なってからの方が、かもしれない)、まだまだ皺寄せがくるだろう。

 

 私たちは、どう腐らず生きていけばいいのか。

 もうコロナ以前には戻れない。

 感覚としてそれを知ってしまった上で、この問いは、しばらく続きそうだ。