乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#91 すべてがFになる  森博嗣著

 

 

『つんつんブラザーズthe cream of the notes8』を読んではじめて知ったこの著者は工学博士でもあるそうで、専門知識を存分に活かした「理系ミステリー」と呼ばれる小説を多数書いている。

 

 本作の登場人物も工学部の助教授と学生をはじめ、天才プログラマーや工学の研究者などがほとんどで、ハイテク研究所内でロボットを使った殺人事件が起こるというそれはもう理系も理系の話。

 コンピューターシステムやプログラミングに疎い私にとっては好奇心を掻き立てるジャンルではなく、「7は孤独な数字」と言われても何のことやらだし、トリックの凄さもよくわからなかったので、ミステリーとしては満喫できたとは言えない。

 

 にしても、20年以上前に書かれたものなのに現在を予見しているところがいくつも見受けられるのは、さすが理系脳だと感心する。

 

そう、ほとんどの人は、何故だか知らないけど、他人の干渉を受けたがっている。でも、それは、突き詰めれば、自分の満足のためなんだ。他人から誉められないと満足できない人って多いだろう? でもね、……、そういった他人の干渉だって、作り出すことができる。つまり、自分にとって都合の良い干渉とでもいうのかな……、都合の良い他人だけを仮想的に作り出してしまう。子供たちが夢中になっているゲームがそうじゃないか……、自分と戦って負けてくれる都合の良い人が必要なんだ。(中略)」

 

「そうやって、個人を満足させる他人をコンピュータが作り出して、その代わり、人はどんどん他人とコミュニケーションを取らなくなる……、ということですか?」

「そうだね……、そう考えて間違いないだろう。情報化社会の次に来るのは、情報の独立、つまり分散社会だと思うよ」

 

 昨今、私たちのコミュニケーション方法はめまぐるしく変化している。

 ITの発達はもちろん、予期せぬ新型ウィルスの襲来によって対面で話す機会がぐっと減り、代わりに画面越しに座談するのが当たり前になった去年、皆が戸惑い気味にしていたのも本当に一時的で、今や違和感はほとんどなくなっている。

 それでも今のところは「他人とコミュニケーションを取っている」ことに違いはないが、この先に、人対人の交流の更なる減少があることはもう見えている。

 

 たとえばSiriの出現なんかがいい例だ。

 私は使ったことがないけれど、誰かがスマートフォンに向かって何かを訊くと不気味な声が答えたり答えなかったりしているのは時々目にする。

 その光景は幼い頃にアニメで見た嘘みたいに描かれている近未来のようでもあり、それでいて素晴らしい未来というよりは恐ろしい印象を私に植え付ける。人工的な声の彼女と、何も感じずに対話する生身の人、両方が恐い。

 

 とここで、10年ちょっと前のある出来事を思い出した。

 

 まだほとんどの人がガラケーを使っていて、wi-fiも普及していなかった頃のこと。

 私はインドの田舎町に滞在していて、ガラケーすら持たずに週に一度インターネットカフェでe-mailのチェックをしたりmixiを見るくらいというローテク(良くいえばプリミティブ)な生活をしていた。

 

 ある日、その町に住む日本人のお宅へ遊びに行ったら、すでに何人かが集って雑談をしていた。

 みんなで他愛もない話をしていれば、「あれって何だっけ?」「なんでそうなったんだっけ?」と思い出せないこともぽろぽろ出てくる。

 通常ならそこで「えーと、えーと」と記憶を手繰り寄せてあーだこーだと話は膨らんでいくところ(だと思っていた)なのに、一人の男性がさっとスマートフォンを出して「あ、それは○○だね」とあっさり。

 

 その時点でその話題はぶつりと終わる。

 そんな強制終了が一度ならずあって、私はとても不愉快な気持ちと恐怖を抱いた。

 

 不愉快だったのは、正確な答えを導き出すことよりも過程である会話を取り上げられ、また取り上げた人が会話を奪ったことに気付いておらずむしろ便利さを提供した恩を着せてくるように見えたこと。そして、その便利すぎる物体に対して、こんなものが日常的に使われるようになったら恐いなという警戒心。

 

 それがどうだろう。

 たった数年ののちには、私自身Googleでありとあらゆることを調べるようになっているし、もはや便利であることすらいちいち意識せずにいるではないか。

 インターネットに不慣れな母親に「そんなのスマホで調べればすぐだよ」と、お薦めまでしているではないか!

 

 つまり私がHey,siriと呼びかけ、「なぜタイの女性はみんなガニ股なの?」と訊ねる日だってそう遠くはないということ。

  

 果ては、犬ではなくロボットを愛でることを明日の活力に……なんて文字通り血も心も通わない寂しさがあるので考えないでおこう。

 

 

 しかしコンピューターの進化は悪いことばかりではない。

 

「そんなにコンピュータばかりが増えてしまって、人間は何をすれば良いのですか?」

「何もする必要はないね……」犀川は微笑んだ。「何かをしなくちゃいけないなんて、それこそ幻想だ」

 

 何かをしなくちゃいけない、というのはまさに現代人が、そしてここ数年間私が侵されている脅迫観念だ。

 

 AIには是非とも頑張ってもらって、ヒトは暇であることが罪悪でも恥でもなく世界の常識になればいいのに。そして暇でしょうがない者同士、用もないのにつるんでは、「あれは何だっけ?」「いやそれじゃない」と持て余す時間をだらだらと費やせばいいと、けっこう本気で思っている。