乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#90 スカートの下の劇場  上野千鶴子著  

 

 

 新年早々パンツの話である。

 語尾が上がるパンツ(ズボン)ではなく、パンティのパンツである。

 

 そういえば子どもの頃、お正月は必ず新しいパンツで迎えるというのが我が家のならわしだったけど、世間一般ではどうなんでしょう(私はよく馴染んだ二軍で2021年を迎えました)。

 

 

 さておき、人生でこんなにパンツについて考えたこと、あったかなあ。

 

 この本ではそれはもう真面目にパンツのことが語られていて、自ずと自分のパンツ遍歴を振り返ることになった。

 それはいいとして、何しろフェミニストの学者が書いたものだから、男はどうで女はどうでと比較したり、パンツと性器を結び付けたり、さすがにこじつけなんじゃないかというくらいの分析をしている。だから私はいちいち「パンツはパンツだ!」と、それこそパンツ一丁の仁王立ちで言いたくなって、なんだかパンツ疲れしてしまった。

 

 たかがパンツ

 

 コレクターとまではいかないけど下着に拘りを持ち、しょっちゅう新しいものを買っていた二十代の頃の私ですら、ナルシシズムだのエロティシズム(セックス・アピール)だの意識したことはなかったはずだ。

 

 上下揃いであることはマストで、色や柄やデザインが気に入り、当時主流になっていた寄せて上げまっせ! 機能があればなお良し。

 そうして引き出しに収められた中からTPO――アウターの形状や目的――に応じて、その日の下着を決める。

 私にとっては完全にファッションの一部であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 自己満足と、人に見せるため、両側面があったにしても、服と下着の(決め方の)違いなんてない。

 異性に見られることを意識しセクシーさや女らしさを演出する(あるいは全くしない)のは下着に限られた特権ではなく、どんな衣類だって同じだ。

 

 

もちろん、セックス・アピールとナルシシズムというこの二つの基準はあらゆるファッションについてあてはまる。だが、パンティが性器に極限的に近いために、男たちはパンティを、直接的に性的なものと勘違いする。

 

 確かにパンツのすぐ下にあるものを思えば、シャツやスカートとは違う意味合いの布であることはわかる。

 だからといって、女側がどうやってどんなものを選び身に付けるかは結局好みの問題でしかなく、性器からの距離によって変わるものではないと思う。

 

女は、しかし、男たちの知らないところで、自分自身のボディにもっとナルシスティックに固着しているように見える。そうでなければ、あれだけおびただしい種類のパンティが、どうして消費されるのだろうか。観客のいないスカートの下の劇場で、女だけの王国が成立する。

 

 著者の見解では、私が下着を次々買っていたのはナルシスティックな固着だったということになるが、深読みし過ぎじゃないの、と全然ピンとこない。

 綺麗な布でできた物を欲しがるのはボディへの意識というよりも可愛いポーチやハンカチを集める少女趣味的な物欲に近い、というのが私の感覚。

 

 ではもう少し遡って、下着が母親に監視されていた時代を振り返ってみる。

 

 著者は、下着の管理は性器の管理につながる、と言っている。下着を通して、主婦は実は一家の性器管理をやっているのです、と。

 たとえば娘が可愛い下着を買おうとすると母親は、「色気づいてきた」「誰に見せる気だ」と反応する。娘は母のそういう気持ちに気を配り、母親の好みの範囲内で選ぶ。

 

 これも私には経験がないことで、小学生の頃は母親と一緒にではあるが子ども下着売り場に行き自分の好きな物を選んでいたし、中高生になって色鮮やかなもの、初めて黒を取り入れた時なども、とくにダメ出しはされなかった。

 どちらかといえば、それまで白やベージュが主流だった母の方が「黒もアリね」と娘に影響されていた気がする。だから、下着の管理も性器の管理もされた記憶はない。

 これはもしかしたら、本書が書かれた時代と私が思春期を迎えた時代の差異で、家族の役割や関係性が変化したせいかもしれない。

 

 

パンティの実用主義的なカジュアル化が進んで、何を選ぶかという選択肢がすごく増えました。(中略)パンティは性器のラッピング・ペーパーですから、多様な選択肢の中から毎日パンティを取り替えるという行為には、ちょっと飛躍した言い方ですが、ファッションと同じようにそれで性器の気分が変わる、という感覚がひそんでいます。(中略)女の子があれだけパンティをさまざまな意匠で替えるようになったということと、女の子にとって性器がデタッチャブル・パーツになったということとは関係があるのではないか、という気がします。いわば、性器に対する感覚が男性器なみになってきているのです。

 

 

 ご本人が「ちょっと飛躍した言い方」とは言っているけれど、ちょっとどころではない。

 まずパンティは性器のラッピング・ペーパーですから、なんてしれっと前提にしているそこからして、特定の職業や性的嗜好の持主以外には当てはまらないんじゃないか。

 著者は私の知っている女子の実態より遥かに多くのサンプルを基にこう書いているはずだが、パンツを性器のラッピング・ペーパーだと認識している(意識的・無意識的の両方で)ような女性がそんなにいるとは、私はどうしても思えない。

 下着によって気分は変わるけど、その気分は、性器の気分ではない。

 ていうか、性器の気分って何。

 

 されどパンツ?!

 

 話はさらにポルノやフェティシズムにも及ぶ。

 男性にとって女性のパンツの存在がどういった位置づけなのか私にはわかりようもないけれど、全裸よりもむしろ僅かに隠された部分がある方が淫猥に映るのはなんとなく想像できる。

 

 

 三十になってヨガを始めて以降、専らワイヤーもホックもないスポーツブラが必要になった私は、スポブラ&パンツが対になったものを着用するようになった。

 それからだんだん上下揃いという縛りがなくなって、色のバリエーションに対する情熱も失せ、実用性以外のことを考えるのが煩わしくなっていった。それは同時に、スポーツブラなんて色気がないとがっかりするような男性との交流がなくなったこととも重なる。

 

 今となってはパンツは黒のみ・ブラも基本的に黒だけど外側に着る色によっては白、つまりパンダの日があってもOKという緩さ。

  もし私のところに「はぁ……はぁ……ねえ……何色のパンツ履いてんの?」という変態電話が掛かってきても、答えは常に「黒です」の一辺倒だから、変態も電話のし甲斐がないだろう。

 

 そしていつものスポブラ&黒パンツでこれを書いている今、最近の若い男の子たちの方が余程アンダーウェアにも気を遣っているんじゃないかと少し不安になる。

 

 

 著者があとがきでも述べている通りセクシュアリティはたえず変化していて、男性も脱毛やスキンケアに勤しみオシャレな見せパンを履くような時代に、変態電話で興奮する人なんていないのかもしれない。

 そのうち、男がどんなパンツを履いているのか想像して欲情する女や、男のパンツを盗む女が現れたりして、下着フェチの女性が珍しくないなんてこともあり得るのだろうか。

 

――と、パンツのことばかり考えていたら、ネット記事で『何色が多い? 下着の色でわかる、女性の心理と恋愛の傾向』なんていうものまで見つけた。

 

 それによると、黒やグレーの下着が多い⇒上品で洗練された大人のイメージの下着を好むあなたは、一見クールに見られがちですが、実は非常に情熱的な女性のはず。愛する人のためには苦労を惜しまない一途な性格の持ち主である反面、関係の終わった男性には非常に冷たくすることもあります。(云々かんぬん続く)

 

 いやはや、スカートの下には色んな劇場があるもんだ。