乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#101 秘密  谷崎潤一郎著

 

 

 主人公は、刺激に飢えていることに自覚的な中毒者。

 この中毒者の話を「耽美だ」「甘美だ」と評する人もいるようだけど、そうなのか?

 谷崎が書いたらそうなのか?

 これが無名の誰かが書いたものだったとしても「耽美」というのか?

 

 

その頃の私の神経は、刃の擦り切れたやすりのように、鋭敏な角々がすっかり鈍って、余程色彩の濃い、あくどい物に出逢わなければ、何の感興も湧かなかった。

(中略)

惰力の為めに面白くもない懶惰な生活を、毎日々々繰り返して居るのが、堪えられなくなって、全然旧套を擺脱した、物好きな、アーティフィシャルな、Mode-of lifeを見出して見たかったのである。

普通の刺激に馴れて了った神経を顫い戦かすような、何か不思議な、奇怪な事はないであろうか。現実をかけ離れた野蛮な高等な夢幻的な空気の中に、棲息することは出来ないであろうか。

 

 

 ちょっとやそっとのことでは物足りない彼が、もっともっと強いものをと求めた末に行きついたのが「秘密」だった。

 

 前半では自身が秘密を持つ側、後半では他人の秘密を暴く側となって書かれているのだけど、前半に関しては、一人で密かにおこない満足できるなら自由にやってくださいなという話。

 

 問題は、他人を巻き込んで「秘密」による快楽を得る後半。

 

 恋においても「秘密」が魅惑のスパイスになるのは、私にだってわかる。

 何から何まで簡単に見通せる相手よりも、ミステリアスな部分があった方が興味をそそるもの。

 

 ん? 待てよ。本当にそうだっけ?

 

 身元が確かなのは当然のこと、経歴も考え方も今何をしていてこれからどうなっていくであろうかもだいたい見える(けれど物足りない)人 VS どこでどう育ち現在どんな暮らしをしこの先どこへ向かっているのか薄っすらとしか掴めない(それが色気として漂う)人。

 

 果たしてどちらが魅力的なのだろう。

 

 すべてが手に取るようにわかる安心感をとるか、危うさとともにあるスリルをとるか。

 恋に落ちたいならやっぱり後者ということになるのかとも思うけれど、それには結構なエネルギーが要る。

 若い頃は安定なんてなんぼのもんじゃいと思ってきた私でも、もうスナフキン的な人とテンポラリーな関係を持つのは面倒臭い!

 

 

 話を小説に戻そう。

 

 ある晩主人公は、以前船の中で一時の恋仲となった――しかしそれきりになっていた――女性と偶然にも映画館で隣り合わせになった。

 薄暗闇の中、二人は手紙で改めて会う約束を交わす(女性の方は別の男性と同伴していた)、そのやりとりはドラマチックで、さらに女からの手紙には謎めいた会い方が示されていて、彼の好奇を掻き立てる。

 

私はこの手紙を読んで行くうちに、自分がいつの間にか探偵小説内の人物となり終せて居るのを感じた。不思議な好奇心と恐怖とが、頭の中で渦を巻いた。

 

 明日の夜、迎えの車を寄越すが住所は知られたくないから眼隠しをしますと女はいっている。それでなければ会わないとまで書いてあるから、条件をのまないわけにはいかない。

 

 が、見てはいけないといわれたら是非とも見たくなってしまうのもまた人間の性で。

 玉手箱を開ける浦島太郎も、障子をそっと開けるおじいさんとおばあさんも、駄目だとわかっていながらその衝動は抑えられなかった。

 

 この主人公の中でも、色恋の相手に秘密を求めながら、秘密があるなら暴きたいという相反する思いがむくむくと膨れ上がっていき、毎晩のように通っているうちにどうしても抑えられなくなってしまう。

 

 そこまでは、まあそうだよねと頷けるのだけど、オチは浦島太郎とも鶴の恩返しとも全く違う。昔話なら禁を破った方が何かしらを失うことになっているのに、そうならない。反則技をかまされたようで後味が悪い。

 

 

 秘密の内容は何であれ、とにかくそれがなくなってしまうと途端に興味を失う男の心境は理解できなくはない。

 私のイメージでは、男性は相手のすべてを把握し、把握した上でコントロールしたがる生き物。でもこの主人公は、把握したいどころか、秘密そのものに憑りつかれているだけでそもそも彼女には興味はないというか、別にその人でなくても(秘密さえあれば)いいという身勝手な男。

 そういう人もいるのだというところまでは許容するとしても、身勝手さを隠そうともせず悪びれることもないその態度がいただけない。

 

 

 こんな男の話を「耽美」というのか。