1,500頁超の長い長い話をざっくり言ってしまえば、近親相関の告白小説、且つ主人公・岸本=島崎藤村という私小説でもある。
男やもめが姪を孕ませ、いたたまれなさから逃げるべく自分だけさっさと海外(フランス)に渡る。
3年の時を経て帰国するが、あろうことか再び姪と関係を持つ。
なんて奴だ!
むかむかするのは、近親相関そのものというよりは、これをさも“美しい禁断の愛”のように仕立てている点。
前半は、とにかく岸本があーでもないこーでもないと懺悔の念に苛まれている。
けれど、この懺悔は、自分のしでかしたことへの後悔(たとえば、なぜあんなことをしてしまったのだろうか、とか)ではない。
また、辛い思いをさせてしまった姪・節子への詫びでもほとんどない。
ただ、家族や世間から後ろ指をさされることを恐れ、苦しんでいるだけだ。
いや、もっと意地悪く見れば苦しんでいるふりをしているだけとさえ言えるかもしれない。
もしこれが進んで行ったら終にはどうなるというようなことは岸本には考えられなかった。しかし、すくなくも彼は自分に向かって投げられる石のあるということを予期しない訳にはいかなかった。(中略)こうした眼に見えない石が自分の方へ飛んで来る時の痛さ以上に、岸本は見物の喝采を想像して見て悲しく思った。
こういう身勝手さは、もう一人の当事者である節子の書き方にも表れている。
彼は一切から離れようとして国を出たものだ。けれども彼の方で節子から遠ざかろうとすればするほど、不幸な姪の心は余計に彼を追ってきた。飽くまでも彼はこうした節子の手紙に対して沈黙を守ろうとした。
これじゃまるで最初から節子の方が叔父を恋慕っていて、自分の方はそんなんじゃないのに迷惑だ、みたいに見えるではないか。
こんなに長い話なのに女性側の複雑な思いは一切書かれていなくて、一方的な男の逡巡ばかりが続き、なんて卑怯な奴なんだと、やっぱり腹が立つ。
だらだらと自分の苦しさだけを吐き出し、別の女性との再婚を考えたり節子にも誰かと結婚させようと企てたりもした末、後半では急に節子と二人で生きていこうと覚悟を決める。
この純愛方向への舵の切り方が本当に気持ち悪かった。
さらには、全てを世間に公にしようと考えるようになる。
そこでまたあーでもないこーでもないと迷い苦悶する岸本。
この人、被害者意識が強いようだけど、全て自分発の行為や思いつきでしかないということに気付いていないの?
「あの事を書いたら。そんなことは以前の彼には考えられもしなかったのみか、なるべく「あの事」には触れまいとして節子からきた手紙は引裂いて捨てるとかした以前の彼の眼から見たら、まるで狂気の沙汰であった。
狂っているという自覚はあるようだけど……
こんなところへ岸本を導いたものは節子に対する深い愛情だ。
どの口が言うか!
『破戒』でも、一人の男性が「人には言えないこと」を胸に抱え、「しかし言いたい」と葛藤し、もやもやと悩んでそれがとにかく続いていた。
が、『破戒』の方は当人に全く非のない出自のことであり、『新生』はその人がしでかした過ちであって、秘密の種類があまりに違う。
ただ、どちらももういい加減にしてくれよと思いながら読むのをやめられなかったのは、間に挟み込まれている風景や街の描写の巧さによるところが大きい。
その巧みな筆運びが島崎藤村の技量であり狡さでもある。
一体何を読まされてるんだとふと立ち止まっては、いやいやこれは姪を孕ませた男が自分を正当化しているだけの話だと思い直す。そんな繰り返しで最後まで読み切った。
「節っちゃん、お前は何時までも叔父さんのものかい」
「ええ――何時までも」
胸に迫って湧いて来るような涙と共に、節子は啜り泣く声を呑んだ。
勝手に“叔父に純な恋心を持ち肉体だけでなく精神まで捧げた無垢な女”として書かれている節子の、絶対にあったであろう恨みつらみの方を私は知りたい。
節子の涙は、この叔父にとって都合のいい意味のものではないはずだ。