天才か!
初めて読む著者の、タイトルだけでずっと気になっていたこの本をようやく手にして思うのは、時空とか記憶をぐにゃりと歪めてくるような物語を書けるのは、星の数ほどいる小説家の中でも限られたごくわずかな人だけが持つ才能だということ。
私は、自分の生きている(と思っている)現実にリンクするような小説を好んでよく読むし、仮に何か物語を書けと言われたら、やはりそういうものしか書けないと思う。
否、それだって才能は要ることで、現実をどこまでも的確に厳密にしかも芸術的に言語化する能力を持つ小説家というのは本当にすごい。
けれど、それは練習である程度できるような気がするし、そのすごさの要素は結局どれだけ多くの人に「あるある」を感じさせるか、所謂「共感」されるかに依るところが大きい。
歪みのある物語というのはそういうすごさとは全く違う。
むしろ共感とは程遠いところにあって、不可解さに満ち、尚且つ人を引き込む。
ナニコレ。よくわかんない。でも続きが気になる!
本書でいえばタイトルのアルファベットからして謎を孕んでいて、きっと何かの暗号だろう、だからミステリなのだろうと、勝手に思っていたら全然違った。
確かに殺人は行われるし謎だらけなんだけど"事件"の"犯人"を捜す話ではない。
ネタバレにもならないので言ってしまえば、トランプのQueen Joker King Joker Queenの頭文字で、並びに意味はあるものの、やはり謎はつきまとう。
帯は帯で「私の家族は全員、猟奇殺人記。」だなんて、鬼気迫るインパクトだし、まんまとジャケ買いしちゃうよ、これは。
それでいて内容も、決して見かけ倒しではない意外な展開を仕掛けて来る、となればもう天才かよとしか言葉にならないのだ。
古代ローマの世界。
元老院に逆らった者――最上位には皇帝も――には、究極の刑罰として、ダムナティオ・メモリアエが下される。
記憶の破戒、という意味だ。その人物が生きた記録や痕跡の、ありとあらゆるものが「なかったこと」にされてしまう。(中略)
罪を償う罰を受けて記憶されるのではなく、完全に消えることで罰せられる。なかったことに。
愛の対義語が憎しみではなく無関心であるのと同じで、究極の刑罰が記録の破戒、存在の抹消というのは納得できる分だけ切なく想像するだけで苦しい。
「悪者」として存在することも許されず、誰からも認められない、なのに生きている。
これは、最近読んだ『何者』(朝井リョウ著)にも通ずるところがあって、Twitterで止めどなく流れるあらゆるつぶやきが、「なかったこと」になりたくない人々が必死で残そうとする痕跡に思える。いいね! と言われたいだけでなく、炎上しようが批判されようがアンチがいようが、いない=何者でもないよりは全然いい。そんなふうに自分を繋ぎとめる悲痛な叫びに。
心にずしんと響く名著ではない。何度も読み直す話でもない。けれど、凡人が天才の脳内を分けてもらって、仮想と現実の曖昧な世界へ連れていかれる。それがこんな安価でいいのだろうかと思うほどに濃密な時間。だから読書はやめられない。