乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#37 罪の声 塩田武士著

 

 1984年に世間を震撼させたグリコ森永事件は、当時小学生だった私にとっても鮮烈な事件として記憶に残っている。というか、人生で初めて認識した「事件」がグリコ森永かもしれない。

 

 当時の一般的な子どもなら一度ならず食べたことがあるグリコのキャラメルや森永チョコボール。それらを作っている大きな会社がものすごく悪い人から脅されている。動機や目的を考えるには満たない年齢でも、そのくらいの理解はできる。

 なかでも「かい人21面相」と名乗る犯人グループ――偶然にも江戸川乱歩怪人二十面相シリーズを読みはじめた頃と重なり、その名のインパクトはすさまじかった――が、どくを入れたぞと送りつけた‘ちょうせん状’と、犯人の一人である‘キツネ目の男’の似顔絵は強烈な印象で、そのうち無防備だった菓子類にセロファン包装が施されるようになると、とんでもないことが起きているという実感は高まっていった。

 

 この小説は、そんな昭和の大事件をモチーフとした社会派ミステリである。

 

 三十五年も前の記憶を手繰り寄せながら、本というより箱のような厚みと重みのある紙を捲る手が止まらなくなった。

 

 

 物語はともに三十代の二人の男性によって語られていく。

 一人は新聞社の社会部に所属する記者(阿久津)で、未解決事件の特集記事のために本件の真相を追うという王道といえる設定。

 そしてもう一人(俊也)を、脅迫テープに使われた男児の声の主にしたところがこの作品の最大の功だと思う。

 

 

額から流れ出る汗にも気づかず、俊也は天を仰いだ。

これは、自分の声だ。

 

 まさか自分の声が恐ろしい脅迫に使われていたとは。

 亡き父の部屋から出てきたテープを聴いたときの俊也の衝撃は計り知れない。

 

 現実にテープが存在している限り当然声の主はどこかにいるはずで、それが自分である可能性は(年齢の合う男性なら)誰にとってもゼロではない。でもまさか……。

 

 本人にしてみれば身内が凶悪事件の犯人かもしれない、ひいては自分にも何か責任があるのかもしれないと、不安と恐怖以外の何ものでもないだろうが、無関係の者(読者)にとってこんなにぞくぞくと好奇心を煽られることって、あるだろうか。

 

 

 フィクションでありながら事件は極めて忠実に再現され、しかしまたフィクションならではの「かもしれない」可能性で織り成す著者の創作力は見事だ。

 

 私は普段あまり人に本を薦めることはない(薦め方がわからない)けれど、これは、かの事件を知っている世代には是非読んで欲しいと思った。

 

 ちなみに当時子育て中だったジャイアン(母)に、親としてあの事件は子どもに危険が及ぶかもしれないという脅威を感じたかと訊いてみたが、「おやつはだいたい手作りしてた(ジャイアンなのに料理上手)からほとんど気にしてなかった、ていうか、憶えてない」という肩透かしを食らうような回答だった。

 存外子どもの方がリアルに空気を察知するものなのかもしれない。なので、子どもだった(おもに四十代の)人にとくにお薦めしたい。

 

 

 

 それにしても、俊也にせよもう一つのテープの家族にせよ、加害者の親族でありながら完全に被害者になってしまったケースで、まったく不運なこととしか言いようがない。使用の意図を知る由もなく声を悪事に使われた子どもに罪があるなんて誰が言えよう。

 

 でも、だからといって「いやー、あの声、実は僕なんですよ」と、「自分は子どもだったし、全然わからなかったんですけどね」と、無実の人間として堂々と生きることを世間は許さないはずだ。

 

 どんな些細なことでも躍起になって犯人捜しをする昨今の風潮を思うと、とても「へー、そうなんですか」で済まされるとは、私には思えない。