2016年に東大生が起こした事件をモチーフにしている(あくまでフィクションではあるけれど)ので、参照までに事件のことをWikipediaから抜粋する。
2016年に東京大学に通う学生によって東京大学誕生日研究会というインカレサークルが設立される。このサークルが設立された目的は性行為や乱痴気騒ぎをするということであった。
5月10日の夜にサークルの飲み会が池袋で行われた。一次会ではゲームが行われ、それに負けると一気飲みさせるという内容であった。被害女性は酔って寝たふりをしていたが、胸をつついて起こされたりブラジャーのホックを外されるなどをされた。二次会には参加しないで帰ろうとしたが引き止められた。
二次会は巣鴨のマンションで行われ、ここで犯行が行われる。犯人は突然被害女性のTシャツを剥いで胸をもんだ。ズボンも剥ぎ取られ背中を叩かれ、続いて他のメンバーも背中や尻を叩いた。割り箸で肛門をつついたり、陰部にドライヤーを当てるなどをした。
(最終的に女性は部屋から逃げ、公衆電話から警察に通報し、事件が発覚する。)
私は、東大生(及び卒業生、なんなら中退者も含め)は素直に「すごい」と思う。
生まれ持った資質を備え、並々ならぬ努力を積み重ねることができた者しか手に入れられない称号。
トップアスリートに対する「すごい」と同じ意味で、そう思う。
どちらも私には絶対にできないし、そもそも挑戦しようという位置にすら立てないのだから、無条件降伏できる。
けれど、そのすごさと人間性は別の話。
私の最も身近にいた男性(つまり父)は、東大ではないけれど高学歴であることを誇り、すがり、しがみつき、それだけを心の支えにしているような人だった。
「あいつは馬鹿(学歴が低い)だから」という言葉をちりばめた暴言を百万回くらい聞いて育ったおかげで、逆にわたしはそこ(学歴)で人を見ることをしない人間になれたと思っている(とはいえ100%無視するのではなくて、年齢とか出身地と同様その人を形成するone of profileだと捉えている)。
確かにあなたは偏差値が高い。で、それを取ったら何が残るの?
と、人情とかユーモアとか愛らしさとかそういう人間味のある魅力からほど遠いその人を冷淡な眼で見ていた。
学歴を武器にしたプライドの高さと、それ以外では戦えない劣等感は、矛盾しながらどちらも強く主張をするのを私は体感せざるを得なかった。
だからこの小説の東大生たちの心理やおこないも理解はできる。
親戚中や近所ですごいすごいと褒めそやされて育ったら、自分は特別なのだと思い込むのは簡単だ。そして、自分より学力の低い者は全員見下していいのだと勘違いするのも。
また、そういう子供を持った親が過剰に我が子は特別なのだと思い、結果、違った方向で「特別」にスポイルしてしまうことも然り。
その理解とは別で、被害者(美咲)が完全な被害者かといえば、私はそうは思えない。
もちろん、頭の良い人間が頭の悪い人間に何をしてもいいということではない。
彼らのしたことは卑劣で最低なことだというのは大前提。
おのおのの厚顔に平手打ちを喰らわせ、飛び蹴りしてやりたいくらいむかつく。
でも、飲み会に参加したのも、大学生の家に行ったのも、彼女の意志だ。
彼女の意志が全くのゼロでない限り、少なからず彼女にも責任が発生する。
彼女がそこに行ってしまったのは、メンバーのうちの一人に恋心があったことも大きい。が、もうとっくに彼の異変には気付いていたはずだ。
おかしいな。そう思っていたはずなのに、そう思いたくないから、あるいはそれをはっきりさせるために、もう一度会うことにしたのは明らかに彼女のミス。
そして、そのミスはある時点までは取り返しがついた。なのに、取り返しのつかないところまでいってしまったのも、やっぱり彼女に責任がないとは言い切れない。
【炭素税の効果試算を出すから、行かない。初詣】
(中略)
(速く打とうとして、『け』を『か』と打ったんだー)
美咲は思った。思うことにした。
(中略)
だからこそ、敏感だった。
たちどころに嗅ぎつけた。
もしや自分の恋のよろこびは、花火のように瞬間だったのではないかと。
「彼女は頭が悪い」と彼らが判定するのと違う意味で、馬鹿だと思った。
「行けない」ではなく「行かない」。この差は大きい。
本当は行きたいのに行けないんだ、ではなく、行く気がないから行かない。
両者のニュアンスの違いに目が向いていながらも、前者であってほしいばかりに打ち間違えたのだということにするのは、厳しい言い方かもしれないが頭が悪いとしか言いようがない。
彼女が好意を寄せている男子学生はちっともイイ男ではないし、最初こそ優しかったかもしれないが次第に性行為だけのために呼び出したり、事件当日の一次会の段階でも相当なひどい扱いをしてくるような奴だというのに。
では、こんな事件が二度と起こらないようにするにはどうすればいいか?
というのが論点ではない(不毛だ)と思う。
殺人だって戦争だって、悪いことだと誰もがわかっているはずなのに(と、多くの人は思っているのにそうではない人もいるから)無くなることはない。
やるやつは、やるのだ。
(逮捕しにきた工業高校卒とかの警察官もカスだったが、いちばんカスは、通報したバカ女子大の女だ。あのバカ女。
公の場では口にしないけどさ、単細胞からヒトまで、頭が悪いやつ、身体が弱いやつ、不自由なやつは、弱者なんだ。弱者は淘汰されるんだ。弱肉強食なのが自然界なんだよ。なんでこの真実を覆い隠すわけ? これ真実でしょ。ナチュラルでしょ。
強者の余裕で、弱者をかばってあげるんだよ。上から目線? けっこうじゃない。ボランティア、慈善、福祉、みんな上から目線の賜物だろ)
逮捕された後もなお、メンバーの一人はこう思っている。
こういう思考の人たちは一定数存在し続けるし、きっとその考えが変わることはないだろう。
ならば被害者になる可能性が高い側が、被害に遭う確率を減らす対策をするしかない。
美咲が被害者になってしまった要因としては、彼女があまりに牧歌的な家庭で「しっかり者の長女」として育ったことと、恋愛経験の少なさがある。
自分の欲求をひっこめる癖も、純粋で夢見がちなところも、非ではないが、この事件にとっては大いにマイナスに働いてしまっている。
恋愛経験が少なくなくたって、ふとした瞬間、喪黒福造に会ったらすぐにつけこまれるココロのスキマはできるものだ。経験が少なければ、隙間は更にできやすい。
小中学校の授業で、『笑ゥせぇるすまん』を見せればいいんじゃないか。
なんていうのは冗談だとしても、「多様性」をふわっとした性善説風味で教育に取り込むのもいいけど、本当の意味で世の中には多様な人間がいること、それは「みんないい」ではないことを早いうちから知っておくのも必要だと思う。