乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#152 逆さに吊るされた男  田口ランディ著

 

 

 オウム真理教の元死刑囚・林泰男の外部交流者として面会を続けた著者が書いた、小説の形をとったドキュメンタリー。

 

 あの地下鉄サリン事件の時、他の実行犯メンバーよりひとつ多くの袋を担当し、何度も傘でサリンの入った袋を突き刺した林を、世間は「殺人マシン」と呼んだ。

 

 実際の彼(小説の中ではY)は世間のイメージとはかけ離れた穏やかで優しい人だったということらしいが、じゃあその罪がチャラになるかといえばそうではない。絶対に。

 

 ただ、そんな人がなぜ? という疑問は自然湧き起こる。

 

 まさにその疑問を解くべく、著者(小説では羽鳥よう子という小説家)はYにストレートに質す。

 

「じゃあ、なんのために教団に残ったの? 同じように反感をもって去った人たちもたくさんいたでしょう。どうして、最後まで教団にいたの?」

「そのとき、自分は逃げようと思わなかったの?」

 

 次々投げかけられる質問に対しYは、「怖かったのもある」「既に犯罪にも加担していた」などそれなりの返答をするが、私には最終的に絞り出された言葉が強く印象に残る。

 

……私は、教団にいる仲間が好きだったんです。

 

 こんなこと、凶悪事件に加担する理由にはなっていないようにも聞こえる。

 けれど、これこそが、という気がしてならない。

 

 

 私の経験からいうと、高校生までは自分の世界のほとんどは学校でできていた。

 クラスの中でどのようなポジションにいるか、どんな友達がいるか(いないか)、先輩や後輩や教師との関わり方、時々できる他校の友人や恋人との繋がり、その小さな世界で楽しいことも嫌なこともあって、だんだんと自分の価値観や処世術のようなものが形成されていく。

 

 ところが、大学に入ってしまうと、「クラス」とか「部活」みたいなはっきりとした区分けは曖昧で、積極的に参加すればがっつりその輪の中だし、別に興味がなければ何かに属している感覚はものすごく希薄になる。

 言い換えれば、「仲間になる」ことは能動的にならないと難しい。

 

 これは大人になればなるほどそうで、社会に出たら今度は「仕事」で繋がることが増えるので、純粋な友達とか仲間というニュアンスの存在は貴重になっていく。

 また、経済状況や未婚既婚の違い等で付き合い方も多様に分かれていくから、仕事上では同士だとしても私的な連帯感はないということも多い。

 

 

 私が思うに、オウムにいた人たちは、大人になってから(もしかしたらそれ以前から)なかなか「仲間」と思える人に出会えなかったのが、同じ教団にいるだけで共通の信念を持ち共通の目的を目指す人たちと深く関係を築ける、そういうところにものすごい居心地の良さ、もっといえば快楽を感じていたのではないだろうか。

 

 

 つまり、孤独だった。そして、今は孤独ではない。

 

 

 修行は大変でも、仲間と繋がっているという甘美が勝る。

 教団の方向性がだんだんとおかしな方に変っていっても、見逃してしまうほどに。

 

 

 それと似た感覚を、バックパッカーだった頃に感じたことがある。

 

 行く先々で出会った人と、ある程度の時間をともに過ごしていると、熱にうかされたような感じになることがあった。

 

 もともと「旅」という共通項があるから親近感を持ちやすいところから始まり、互いの垣根も低いから、ぐっと親密になる。

 能動的になろうがなるまいが、「仲間」との出会いが自然にやってくると、自分が新しい世界に飛び込んだのだと錯覚した。

 だから、良くも悪くも影響を受けやすい。

 

 たとえばある街にしばらくいた時、なぜかスピリチュアルな人ばかりが周りにいて、私もなんとなくそっちに染まろうとしていた。染まりたかった。でも根っこの部分で私はその雰囲気に染まりきれない性質だったので、結局は違和感を払拭しきれず順応することはできなかった。

 

 もし私がそこにフィットするタイプの人間だったら、今頃妖精が見えると言ったり誰かの前世を占ったりしていたかもしれない。

 幸い(?)そこまではいかなかったけれど、思い返せばその時期私の発していた言葉はすごく気持ちの悪いものだった。

 

 

 オウムの人たちも、運悪くフィットする場があそこだった、そして運悪くそこに入る機会を得てしまっただけだと言える。

 

 事件の被害者やご遺族のことを思えば「運が悪かった」で済まされることではないのだけど。

 

 

 さて小説に戻ると、著者はどんどん事件の真相を究明することにのめり込んでいき、いつしか自分を見失っていく。

 感受性の強さから、知れば知る程自己が乱されていく様子がうかがえる。

 

 個人的にはもっと冷静に解明していくようなものを期待していたので、そのあたりの心情を語られると正直センチメンタルが過ぎるという感想を持った。