たまたま読書メーターで見かけて、白い何の話なのかと思いつつ読み始めたら、白い毛で白という名の犬目線の話だった。
白が、ある事件を機に黒になり、また白になる。
というと童話っぽく聞こえるが、単に犬の毛色の話ではないように思えた。
一般的には白=善で黒=悪のイメージだけれど、犬の白は臆病ゆえに犬殺しに立ち向かうことができず、逆に黒犬になってからは勇敢に闘っている。
白と黒の入れ替わり、つまり善と悪の逆転というのは『桃太郎』(同著者)でも書かれていた。
本作を読んで、私には善と悪を問い質したい気持ちが強くあるのだと気付いた。
それは正義感ではなく、猜疑心からくるもの。
実生活においては白黒はっきりつけようぜ! というタイプではなく、むしろ曖昧でいいくらいに思うことが多い。
けれど、当たり前のように「これは善(あるいは悪)です」と差し出されると、本当に? と疑ってしまう。
だから小説でも、世間では良しとされているものをそうではない角度から切り込んでいくものが好きだし、綺麗事を並べられるとうえーっとなる。
『傲慢と善良』(辻村深月著)が1ミリも刺さらなかったのも、こういう私のひねくれながらも大事にしている美学によるものだと改めてわかる。
『彼女は頭が悪いから』(姫野カオルコ著)や『さらさら流る』(柚木麻子著)では、あんなにはっきりとした悪=性加害者だけが悪だとは思えず、被害者女性に100%は同情できなかった。
他にも、『fishy』(金原ひとみ著)では、不倫ってそんなに悪いこと? と首を傾げ、『コンビニ人間』(村田沙耶香著)では「普通」とされるコンビニの人や古倉さんの同級生(健全な市民)の方が余程気持ち悪いと感じた。
『砂の女』(安部公房著)で言えば、安定的なソトの世界より砂掻きの日々の方が案外いいのではないかとか、『人魚のひいさま』(アンデルセン著)の王子はただのチャラ男だとか。
挙げ出したらきりがないくらいのひねくれ者じゃないかと、我ながら呆れる。
でも、法律的なことは抜きにして観念としての「これは善」「これは悪」という決めつけなんて本当は誰にもできないし、なのに勝手にみんなそう思うでしょうと決めつけられることには我慢がならない。
とはいえ自分自身もそれ(善悪のジャッジ)をしてしまうことがあって、ジレンマに陥ることだって勿論ある。
まあなんだかんだ言っても白でも黒でもないことの方が多いわけだけれど、基本的に私は悪桃(芥川の書く桃太郎)が好きだし、世の中そんなもんよと思っている。
はて、私は一体いつからこんな思想を持つようになったのだろう?
なんとなく思い当たる節はあるけれど、それはまた別のところで書くとして、自分の読解傾向が露わになるという思いがけない結果となる一冊だった。