乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#136 思考の整理学  外山滋比古著

 

 

 この本を送ってくれた友人は「有名な本」と言っていたけれど、小説ばかり読んでいる私は本当にこの類には疎く、著者のことすら全く知らなかった。

 が、読んでみれば案外興味深い内容だったりするから、もっと小説以外のジャンルも読むようにしようと思うことがしばしばある。

 

 

 もう少し想を練らなくては、書き出すことはできない――卒業論文を書こうとしている学生などが、よく、そう言う。ぐずぐずしていると、時間がなくなってきて、あせり出す。あせっている頭からいい考えが出てくるわけがない。

 そういうときには、

「とにかく書いてごらんなさい」

という助言をすることにしている。

 

 

 この本は、大学教授の目線で書かれた“論文がうまく書けない学生に向けた助言”という要素が多いのだけど、こうしてブログを書いている私にとっても参考になる。

 

 

 書き進めば進むほど、頭がすっきりしてくる。先が見えてくる。もっともおもしろいのは、あらかじめ考えてもいなかったことが、書いているうちにふと頭に浮かんでくることである。

 

 

 まさに!

 私の場合は「本の感想」という括りで書いているにもかかわらず、書き始めたら思いもよらない方向へ脱線したり、自分の身に重ねて内省を深める羽目になったりして、本末転倒じゃないかということがよくある。

 

 けど、それでいいと思っている。

「本の感想」というのはタテマエというか一応そういうことにしているだけだし、不特定多数の人に本をお薦めするために書いているわけでもない。

 むしろ本をきっかけに考えたことを記録する方が私にとっては大事なことで、「思考の整理」こそが本来の目的というわけだ。

 

 とはいえ、とにかく書き始めたら必ずしも最終地点に着地できるわけではないのも悩ましいところ。

 

 本を読む→読みながら色々考える→読み終える→考えたことをまとめる。

 

 単純なことのようだけど、「まとめる」に苦難してばかりいる。

 その証拠に、私のパソコンには、書き始めたはいいがまとまらないままのwordファイルがいくつも眠っている。

 

 読んでいる時も読み終わった後も、確かに何かを考えていたはずなのに、うまく言語化できない……。その悶々とした感じは、きっと論文が書けないと嘆く学生と同じだろう。

 

 

「とにかく書く」「聴き上手な相手にきいてもらう」というアウトプットの整理法だけでなく、「寝させる」「忘れる」「すてる」など引き算の必要性も説かれている。

 

 

 知識ははじめのうちこそ、多々益々弁ず、であるけれども、飽和状態に達したら、逆の原理、削り落し、精選の原理を発動させなくてはならない。つまり、整理が必要になる。はじめはプラスに作用した原理が、ある点から逆効果になる。そういうことがいろいろなところでおこるが、これに気付かぬ人は、それだけで失敗する。

 

 いつか使うかもしれない紙袋のような思考は、溜め込んでいても「いつか」は来ず、一生使わないってこと。

 

 それは大いに納得できる。

 ところが、むむむと唸ることが「忘却のさまざま」という一節に出てきた。

 

 めったにメモをとらないことだ。ただ、ぼんやり聴いていると、大部分は忘れるが、ほんとに興味のあることは忘れない。こまかく筆記すると、おもしろいことまで忘れてしまう。

 つまらないことはいくらメモしてもいい。そうすれば、安心して早く忘れられる。大切なことは書かないでおく。そして、忘れてはいけない、忘れたら、とり返しがつかないと思っているようにするのである。

 

 

 大事なことこそ忘れないようにメモを取ることが癖になっているメモ魔としては、受け入れがたい真逆の発想。

 

 メモしなかったら忘れるということはつまりさほど興味がないってことだという、理屈はわかる。わかるけども。

 

 何しろ私は小学校の通信簿には必ず「忘れものが多いです」と書かれる子供だったのだ。

 忘れてはいけないという念だけではどうしようもなくて、その打開策として、手首(手を洗っても消えない位置)にメモするということを始めた。

 以来、私の手首にはタトゥーのような文字がくたくたと記されていることがよくある。

 

 そこへきて、記憶力の衰えを痛感する年齢である。

 憶えておきたいことをメモしないというのは自殺行為にも思える。

 

 しかし著者の言っているのは明日の持ち物とか来週すべきことなどのメモではない。

 

 そういえば、数年前の不安感の強かった時期、本やYouTubeで少しでも不安を拭ってくれるような言葉に出会う度にメモを取っていた。

 その時は「刺さった」と思って、忘れないようにせっせと書いた。

 だがしかし、今となってはどうだろう、それらのほとんどを忘れてしまっている。

 そして、著者の言う通り、本当にそうだと思ったことはわずかだが憶えている。

 

 それでも「これは!」と思った時にはつい書いておきたくなるのは、単なる習慣として体が反射的にしようとしているだけなのだろうか。

 じゃあ思い切ってその習慣を捨ててみようか。

 いや、やっぱり憶えておきたいことは書いておいた方が後で引っ張り出せるし……

 

 

 どうしたものか。

 整理するためのアイディアで頭の中が取っ散らかっている。