子供の頃、家の本棚にこの本があったのはよく憶えている。
小学生向けの絵の多い児童書だったと思うが、読んだことはなかった。
既に活字中毒の気があった私には珍しいことである。
なぜ読まなかったかといえば、「料理」というパワーワードがありながら、反して描かれている絵はなんだか恐ろしくて、とても面白いお話だとは思えなかったから。
それから数年後、15になって、「雨ニモマケズ風ニモマケズ」という有名なフレーズを知る。
といっても、私が好きだったバンドの曲に「雨にも負けない~風にさえも負けることなく~」とそのフレーズをもじった歌詞があったことで元ネタを知るという程度のこと。
あの恐い絵本の作者と結びついていたかも怪しいし、真面目(そう)なオジサンという印象以外に宮沢賢治とはほぼ接点を持たないまま時が流れた。
それを今更読んでみようと思ったのは、ベジタリアンに関する本を読んだことから宮沢賢治が5年間ほどではあるがベジタリアンだったという事実を知り、俄かに身近に感じたのと、例のおどろおどろしい記憶が呼び覚まされて、結局どんな話だったのか気になったからだ。
イメージとしては、よくある寓話(何かしら教訓を含む話)だと思っていたのだけれど、ベジタリアンの視点から読むと妙な読後感になった。
物語は二人の若い紳士が山へ狩りに行ったところからはじまる。
「ぜんたい、ここらの山は怪(け)しからんね。鳥も獣も一疋も居やがらん。なんでもかまわないから、早くタンタアーンと、やって見たいもんだなあ。」
「鹿の黄いろな横っ腹なんぞに、二三発お見舞いもうしたら、ずいぶん痛快だろうねえ。くるくるまわって、それからどたっと倒れるだろうねえ。」
罪なき鳥や獣を鉄砲で撃ち殺そうとする非ベジタリアン二名。
さほど悪者には見えないけれど、ベジタリアン的にはいきなりジャジャーンと悪役登場ということになる。
さてお腹のすいた二人は、「山鳥でも買って帰って食うべ」と相談しながら、いつしか山奥へと迷い込んでしまう。
すると突如「山猫軒」という不思議な料理店を見つける。
山猫がオーナーの西洋料理店らしい。
これはちょうどいいと言わんばかりに二人は店へ入るのだけど、どうも変わったシステムの料理店で、一体何が起こるのか……
「へい、いらっしゃい、いらっしゃい。それともサラドはお嫌いですか。そんならこれから火を起こしてフライにしてあげましょうか。とにかくはやくいらっしゃい。」
二人はあんまり心を痛めたために、顔がまるでくしゃくしゃの紙屑のようになり、お互いにその顔を見合せ、ぶるぶるふるえ、声もなく泣きました。
客が料理を出されるのではなく料理されるという「あべこべ」が、子供にとっては面白いお話ということになるのかな。
しかしまたベジタリアンの目で読めば、動物を殺して食す人間に動物(山猫)が復讐する話ということになる。
にしても、「顔がまるでくしゃくしゃの紙屑のようになり」だなんて聞いたこともない恐怖の表現!
最終的に二人は危ういところで逃げることができて無事帰れるものの、最後の一文は、料理されるよりも恐ろしい結末。
肉体的な復讐よりも精神的なそれの方が余程堪えるなんて、子供にはわかるまい。
子供の時に読んでたら、助かった! 良かった! と思うだけで、きっと本当に恐いとは思わなかっただろうな。