乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#121 ラブ&ポップ  村上龍著

 

 

 1996年――ポケベルからPHSや携帯に移行し始め、アムラーが量産され、たまごっちやプリクラが大流行していた時代――の渋谷。

 大学生だった私にとって、買い物するにも夜遊びするにも、あるいは何もせずぶらぶらするにも、とりあえず渋谷だった。

 

 スクランブル交差点を渡り、109を流し、センター街を抜けてスペイン坂の薄暗いカフェでだらだらと過ごし、パルコを覗き、明治通りに向かうかあるいはまたセンター街に戻るか……と今も脳内地図に移動ルートを鮮明に浮かび上がらせることができる。

 勿論脳内地図のセンター街入口にはアーチ型の看板があり、スターバックスはない。

 

 

 この小説の主人公(裕美)はその時代の女子高生。

 ルーズソックスを履いた彼女達は、当時最強の年齢層だった。

 

 

 ある日、裕美はふと目に入ったインペリアル・トパーズの指輪が欲しくなる。

 

 

今日中に手に入れよう、と決めた。大切だと思ったことが、寝て起きてテレビを見てラジオを聞いて雑誌をめくって誰かと話しているうちに本当に簡単に消えてしまう。(中略)それが翌日には完全に平穏になって、シャンプーできれいに洗い流したみたいに、心がツルンとして、「あの時は何かがおかしかったんだ」と自分の中で「何かが、済んだ」ような感じになってしまうっているのが、不思議で、イヤだった。

 

 

 どうしようもなく欲しいと願い、絶対にそれを手に入れるのだと決める。

 シンプルなことだけど、時間の経過で「なかったことになる」のに違和感を覚えるのは大事なことだ。

 

 綺麗だから、私に似合いそうだから、友達と差をつけられそうだから。動機はいくらでもあるだろうけど、そういう理屈抜きで、衝動というのはもっと深いところから湧き上がる得体の知れない「何か」のサインであって、「なかったこと」には本来できない。

 

 けれど、知恵がつけばつくほど、あっさり流してしまうものでもある。

 

 これが欲しい! 何としてでも手に入れたい! という欲望は物体に対してだけではない。そうせずにはいられない、何も考える前にしてしまっている、そういう弾ける思いがすっかり大人になった私にはだんだんと発動しなくなっている気がする。

 

 ごくたまに小さな種のようなものがあったとしても、他の何かで埋め合わせたり、手に入れなくてもいい理由を作って芽が出る前に摘んでしまうこともある。

 

 

 さて裕美はといえば、お小遣いで気軽に買える金額ではないそれを買うために、援助交際をしようとする。

 

 いいぞ、と私は思う。

 

 時給900円にもならないようなアルバイトを何ヶ月もやってお金を貯めようとしたって、そのうち指輪を目にした瞬間の熱い気持ちは萎える。

 親や誰かにお金を借りて買うのでは本当に自分の物にならないような、何か違う気がする。

 

「今日中に」手に入れる方法として彼女ができるのは援助交際しかない。なら、やるしかない。

 

 

 常識的に見れば「けしからん」手段であるのは、私にもわかる。

 

 

 でも、なぜ、「けしからん」のか?

 誰か、それを説明できますか?

 

 

オヤジの読む週刊誌には、ヌードやソープランドのことはあっても、女子高生が見ず知らずの男とエッチするのがなぜいけないことなのか、一行も書いてない。テレビやラジオでもそんなことを言う人はいない。いけないことだと言う人は掃いて捨てるほどいる、なぜいけないかということを言う人は一人もいない。

 

その男の顔やからだや肌がイヤじゃなくて、その男が乱暴ではなくて、ずうずうしかったり無神経だったりもしないで優しくて、たとえばお金のためというはっきりした目的があって、親にも彼氏にも絶対にばれないという場合、援助交際をしてはいけないという理由と根拠はどこにあるのだろうか。コンドームは絶対につけてもらう。コンドームでほとんどの病気は防ぐことができると保健の先生はエイズ予防教室で言ったが、性感染症については完全な防止法はないということをもちろん裕美は知っている。でも、援助交際がだめだという理由にはならないんじゃないかと思う。普通の恋人どうしや、夫婦でも病気はうつる。

 

 

 これまでも私は、不倫も援助交際も当人がしたいならすれば良いというスタンスだということを何度か書いたことがある。

 

 ただ、リスクはあるよ、ということだけは忘れてはならない。

 行為そのものは罪でも何でもないとしても、見ず知らずの人間と、しかも体力的に相手が優位で、密室で、衣類を脱ぎ捨てた状態になる。そこで起こり得る最悪のケースは死である。

 

 エイズや性病ももちろん怖いけれど、それは裕美の思うように、恋人同士でも夫婦でもうつる可能性はある。けれど、急に逆上して傷つけられることはほとんどない。

 

 伝言ダイヤル(今ならマッチングアプリ)なんかで出会った本名も知らない程度の関係性の男とラブホテルに行ったら、リスクは何倍にも何十倍にもなること。

 

 援助交際が良いか悪いかの議論は無駄だ。

 貞操とか、倫理とか、お金の稼ぎ方とか、そんなものは個人の価値観でしかない。

 

 もっと自分を大事にしなさいだなんて、「大事にするって何?」と問い返されて答えられないようなふわっとしたことを言うのはやめて、統計学的なリスクを示して、あとはご自由にどうぞと言っておけばいいだけのことだ。

 

 教育者でも親でもない私は、無責任ながらそう思う。