乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#120 奇貨  松浦理恵子著

 

 

 面倒臭い男だな。

 

 こじらせ男子と呼ぶにはもう年を取り過ぎた、私とほぼ同い年の主人公にはほとほと呆れる。

 

 会社を辞めて私小説を書いている、という時点で自意識の強さとねじれを感じる。

 小説家ならいい。私小説というのがいけない。自らを切り売りしようなんて、どういう心境だよと思う。

 

 

 そんな彼が、十歳年下の同居人と暮らしながら次から次へとこじらせを発動する。

 設定としてユニークなのは、同居人の女性(七島)が同性愛者であり、男の方も彼女に恋愛感情は一切ないという関係性。

 一見さっぱりした「シェアメイト」のはずなのに、恋愛よりもややこしい妙な感じになっていく。

 

 

 心の距離は測れないが物理的に七島のいちばん近くにいるのは私なのだから、つらいことがあったら七島には真っ先にではなくともやがては私と分かち合おうとすると思っていた。私より親しくて愛着を寄せる友達が他にいたとしても、私のことも感情の掃き捨て場として便利に使ってくれるものと。

 

 七島が新しい女友達と出会い、なんだか楽しそうにしているのを見て、女子中学生みたいに嫉妬する中年男。きもー。

 

 と、完全に侮っていたのだけど、中盤で頭を殴られるような心情が書かれていた。 

 

 

 

 どうやら七島にまつわるひりひりする感情とは別ものだった。戸惑い怪しみながらようやく探り当てたのは、予想外にも「同性の友達がほしい」という熱い願いだった。それとわかった途端に胸がぎしりと軋み、新たな唾液が口に溜まって来た。嘘だろ、と自分の胸に訊く。<男の友情>などということばも概念も大嫌いで全く信用していないが、小学生男子のようにナイーブな慕情や嫉妬が常にぶくぶくと湧き立つ男同士の交友に私はずっと飢餓感を抱いていたのか。叶えられなかった願いは深い傷となって心の古層にひそむのか。そして疼くのか、四十五歳になっても。

 

 

 七島と真の友達になりたい、ではない。

「同性と友達になりたい」という「熱い」願い。

 

 

『何様』の感想でも書いたけれど、基本的に私は、上っ面の友達など必要ではなく、それなら一人でいる方がいいと考えてきたし、今もそう思う。

 そもそも広く浅く人付き合いをする社交性もないし、数が多けりゃいいってもんじゃない。少数でも、きちんと言葉が通じ合う人がいればいい。

 それは変わらないしもう変えようもないくらい歴史ができてしまった。

 

 が、しかし。

 

 この主人公のあまりに素直な吐露が、私の心の奥にも同じ欲望があるのではないか? あるんだろう? とぐいぐい訴えてきた。

 

 

 今、私の周り(物理的な近距離)には友達がほとんどいない。

 知り合いはいる。同僚はいる。時々会う人はいる。会えば話をする。愚痴を言ったり聞いたりも、たまにする。関係性に名前をつけるとしたら友達なのかもしれない。

 

 でも、本当に友達なのかと問われれば、一瞬考えてしまう。

 友達ではないとしても困らないし生活は回る。孤独に苦しむまではいかない。

 

 でも……

 

 たとえ一人でも二人でも、本当に苦しい時に助けてくれる友がいれば、それでいいとずっと思っていたのは間違いだったのか?

 

 

 ていうか、友達って何? と思春期みたいなことを考えている、四十七歳になっても。