乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#79 幸福を知る才能  宇野千代著

 

  

 これも海を越えてやって来てくれた一冊。

 

 以前読んだ『行動することは生きることである』と同様、波瀾万丈の人生を送った大先輩からの教えを乞う真面目な生徒のような姿勢で読んだ。

 

  さりとて恋愛とは少し距離のある今の私は、著者の若い頃の激しい失恋話や結婚相手との別れ話などは身近に感じることはできないのだけれど、一つドキッとする記述があった。

 

 或るとき私は、自分の親しくしている女友達の一人が、酒に酔って、そこにいる男の人に或る種の女のするような態度を示したとき、「この人とはつき合いたくない」と思ったものである。そんなことを思うなんて、何と言うおかしなことか、自分に何の関係もない男に何かしたとしても、それが何であろう。いまでは私もそう思う。しかし、その頃の私には、他人のことでも、自分が被害者であるように錯覚して、われにもなく傷ついたのかも知れないのだ。

  

 これと同じようなことが私の高校時代にもあったのを、鮮明に思い出す。

 

 中学の頃から最も親しかった女友達が、ある男友達にごくプライベートな悩み事を話したというのを聞いて、私はものすごい不信感を持った。

 その内容は、彼女の家族内のとてもデリケートな問題で、「今まで誰にも言ったことはないのだけど実は」という前置きのあと、真剣な面持ちで私に打ち明けてくれていたことだった。

 

 決して「あなただけに言う」という点を期待していたのではない。

 ただ、それほど近しいわけでもない"異性"にその話をしたということが、「可哀想だと思われたい」「気を引きたい」という作為にしか見えず、そのためならあんな個人的な(できれば他人に知られたくない類の)話までしてしまうのかという驚きとともに、なんてあざとい女だと思った。

 

 その感情は生まれて初めて感じた種類の不快感で、未だに名前がわからないのだけど、相手の男は私の彼氏の友人で私にとってはまったくどうでもいい(恋愛対象にはならない)存在だったから、いわゆるジェラシーではないと思う。

 また、著者のいう「傷ついた」というのも、ピンとくるようでいて少し違うような気がする。

 

 ともかく私はこの一件で彼女と一方的に絶交し、大人になってから街角でばったり出くわして声を掛けられた時も「再会を喜んでいません」という顔を露わにしてやった(性格悪!)のだった。

 

 ここまで強烈な嫌悪感を持つことはほとんどないにせよ、似たようなことは今でも時々ある。

 親しくしている人に限らず、また酔っているいないにも関係なく、女性が恋人でもない男性に「女」を前面に出して接するのを見ると途端に「この女、信用するべからず」の警戒ランプが鳴り響く。

 

 これはいったい何なんだろう。

 

 あの件を、私は単なる青春の一コマだとは考えていない。

 三十年近く経っても尚、年に二度ほど夢に彼女が現れることからもわかるように、(彼女に対する敵対心ではなく)自分が抱いた名もなき感情をしつこく覚えていて、いつか藻屑のようなもので淀んでいる底の方まで潜り込んでみなければと、常々思っていた。

 

 

 (恐る恐る潜ってみる)

 

 著者は「娼婦になれる型の女を羨ましがっている」としているが、私もそうなのだろうか。

 

 (藻を掻き分けてみる)

 

 あるいはそうかもしれない。

 

 あの子は私よりずっと可愛くてスタイルも良くて明るい性格だった。それだけで十分ちやほやされるだろうに、そんな小狡い作戦を使ってますますモテようなんてどんだけだよ! そんな不貞腐れた気持ちからの非難があったと、今思う。

 ここで私は、もし彼女がブスだったら確実に違った見方をしていただろうと認めなくてはいけない。

 しかしまた、純粋な羨ましさだけではなく明らかに軽蔑の念があったことも見えてきた。(羨望+軽蔑を”妬み”と呼ぶなら、私の探していた名前はそれだ)

 

 何にせよ、彼氏がいようが、相手の男が自分にとってどうでもいい存在だろうが、彼女が自分の手で高値の株価をさらに上げにいったことを「えげつない」と判断し遠ざけることでしか私は身を守れなかったのだと思う。

  

 ついでにいえば、幼い私はこの激しい感情の処理法がわからず、自分の彼氏に「Yちゃんは腹黒い女だから嫌い」とチクる(理由は伏せるだけの配慮はあった)ことで気を収めていたという、腹黒いのはどっちだよということまで細かく思い出した。

 

 唯一の救いは、彼が「友達のことをそんなふうに言うのは良くないよ?」と眉をひそめる優等生タイプではなく、「へー、そうなんだー、仲いいと思ってた。てか、腹減った。マック行く?」と本能のままに生きる動物みたいな人だったことだ。

 

 まあここまで深堀りしてもやっぱり彼女のあの行為は全然好きになれないし、悪い事をしたとも思わないし、ましてや再び会ってみたいなんて思わない。

 

 私はこれからもきっと娼婦型の女性に遭遇してはぴくっと反応してしまうこともあるだろうけど、それは自分がまだ女である証拠だと都合よく考えることにする。