乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#60 下町  林芙美子著

 

 林芙美子祭りは続いている。

 一か月くらいでごく短いものを三つ四つ読んだけれど、著者はずっと女の幸せってなんだろうと問い続けていた人なんじゃないか、そう思う作品ばかりだった。

 

『婚期』のこじらせ登美子も、『リラの女達』の女給たちも、『清貧の書』のだめんず・うぉ~か~加奈代も、世間的には“残念な方”に位置づけられる人たち。

 若いうちに結婚できず行き遅れた、女給なんて辞めたいのに生活のために辞められない、夫から暴力を受け逃げる……そんな女性たちには幸せになる権利はないのか。そもそも世間が思うほど不幸なのか。

 

 リア充とは程遠い、少なくとも「こうなりたい」といわれるような境遇ではない女性の持つ明るさと暗さ、逞しさと脆さ、不遇の中にも確かにある幸福、そういったコントラストを書くのがすごく巧い。

 

 この『下町』もまた然り。

 戦争が終わってもなかなか戻らない夫を待ちながら、ひとり子どもを育てている実質的シングルマザーのりよは、行商でどうにか生計を立てているがやはり順風満帆とはいえない暮らしをしている。

 

 

人間の辛抱強さにも限度があるとりよは独りで怒つてゐた。シベリアで四度も冬を迎へる隆次のおもかげが、まるで幽霊のやうに段々痩せ細つて考へられて来る。

六年間と云ふもの、隆次が出征してからは、りよは飛び立つ思ひの幸福は一度もなかつた。

 

  そんなりよが、訪問した先で知り合った男・鶴石と親しくなる。

 そこからあれやこれやあってからのじんわり沁みるラストになるのだけど、途中、私もうこの一コマだけでお腹いっぱい、と思うくらいのシーンに完全に心を持って行かれてしまった。

 

鶴石は黄いろくなつてゐるハンカチを出して、りよの髪の毛を拭いてやつた。自然なしぐさだつたので、りよも何気なくその行為に甘えた。

 

雨音のなかに眇めるやうな幸福な思ひがりよの胸に走つてくる。なぜ楽しいのだらう……。

 

 

すがめるようなこうふく……すがめるようなこうふく……すがめるようなこうふく……

 

 幸せにも種類は色々あるとはいえ、こんなにも美しい表現、見たことなかった。

 響きも、意味(片目を細めること)も、噛みしめるほどに溜め息が出そうになる。

 こんな感覚を女として味わえることはなかなかない。

 

 長い間、「飛び立つ思ひ」のなかった彼女だからこそ、雨に濡れた髪を拭かれているだけで、このような深く満ち足りた思いになったのかもしれない。

  

 そしてまた、その瞬間は文句なしのリア充である彼女に密かな羨ましさを抱いた自分に対して「これをいいなあと思う気持ちがあるんだ?」と小さく動揺した。

 

 

 そんな思いをしたからとて現実は始終甘やかなものではないのだけど、ラストも併せて、「この先どうなるのかまったくわからない、希望がないわけではないけどどちらかというとない気がする」を「希望がないかもしれないけれどあるかもしれない」くらいまでは逆転できるのだと、ささやかな好転をもたらしてくれる短編だった。