乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#50 早稲女、女、男  柚木麻子著

 

 この小説は、早稲田を中心に5つの大学に属する男女の特徴の書き分けが実に巧み。

 私はいずれの卒業生でもないけれど登場する女子それぞれに少しずつ若き頃の自分の姿が映し出され、苦味を含む懐かしさを噛み締めることになった。

 

 

 私にとって大学時代というのは、それまでと比べて圧倒的な自由を手に入れた浮かれぽんちな時代。

 大都会トーキョーで初めての一人暮らし。

 門限もなければ何時に寝て何時に起きようが学校へ行こうが行くまいが誰にも怒られない、何を食べても食べなくても構わない、そんな自由な身となって舞い上がらないわけがない。

 

 そこへ若さも相まって、恋愛至上主義の時代でもあった(暇だったのだ)。

 彼氏(一方的に好き、でも可)がいるか否かは生活の90%くらいにかかわる大きな問題だったし、いるならどっぷりといないなら煽られるように恋愛を追いかけていた。

 

 そして、男性に学歴(ブランド)を求めていた頃でもある。

 慶応の男は……早稲田って……明治は……そういう、何様だよ的な発言を私以上にブランド志向の強い旧友(非常に男ウケの良い清楚系女子大に属しており、私は彼女から大量の情報と影響を受けていた)と延々していたことを思い出すと顔から火が出そう。

  

 一方で、実のところは学歴信仰のない(どうでもいい)自分というのも確実に存在していて、違和感を持ちながら友人に植え付けられるあれこれに乗っかっていた。

 

 違和感というのは、高学歴の男性を狙おうとする女側に生じる「媚び」に対する気持ち悪さだったと思う。

 自分が演じること、周囲の女の子が前のめりになっている姿、どちらもべったり張り付く恥ずかしさを抜きに見ることができなかった。

 

  

 男目線と自分目線の間にある葛藤

 

   

 男目線に寄せて無理をしていた感じは登場人物の一人である麻衣子(日本女子)に重なるし、男目線で女を磨くことに恥じらいと面倒臭さを感じる自分は香夏子(早稲田)に重なる。

 

 ちなみに男目線で纏っていた甲冑(服、髪型、メイクなどの装飾)は、『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦である。』(ジェーン・スー著)の感想に書いた「赤文字系ギャル期」から「コンサバOL期」にあたる。

 

 結局は他人(男だろうが女だろうが)目線で何かをするというのは疲れるので自分目線で選択するように努めているけど、そうできるようになったのは大学を出て何年も経ってからのことだ。

 

 さて、迷走していた過去を曝け出すのはこのくらいにして、香夏子の妹・習子(学習院)が数か月前にできた彼氏(及び彼に対する恋心)を悶々と観察しているのが面白かったので、そっちを取り上げようと思う。

 

 彼(賢介)は感じが良く身綺麗でサークル内でも慕われている好人物。なのに習子は心の片隅で「つまらない」と感じている。

 

石神井の実家住まい、趣味は買い物とゲーム、好きな映画は『となりのトトロ』と『ラブ・アクチュアリー』。ツイッターのプロフィールを読んだだけであくびが出そうで、付き合い始めてからも、フォローしていないほどだ。

 

 常々抱いていたモヤモヤが確信に変わるのが、広末涼子をどう思うかという問いに対する賢介の返答。

 

「ね、話は変わるけど、広末涼子ってどう思う?」

広末涼子? 綺麗だよね。『おくりびと』とか、すごくよかったなあ」

「いや、そうじゃなくて、女としてアリ、ナシ? 色々話題だったじゃない、あの人」

「女優さんだし、普通と違っててもいいと思うよ。いつも可愛いし、いいんじゃないかな」

 

 これには前フリがあって、香夏子と習子姉妹、それに香夏子の同級生・杉野(早稲男)の間で広末涼子が話題に上った際、香夏子はこう主張していた。

 

「広末は意外と早稲女っぽいと思うよ。(中略)それに、キャリアが順調なのに、変わった男とばっかり付き合うなんて、まさに早稲女そのものだよ。腐った世界に迎合しがちな自分を罰するがごとく、駄目男でバランスをとるこの心意気と屈折。実はけっこう気骨のあるやつなんじゃないかな。透明感の向こうにナニクソ根性を見た!」

 

 

 同じ人物(広末)を評するにこうも違いがあるのがまず可笑しいのだけど、それはさておき賢介のコンサバティブな答え「綺麗」「いつも可愛い」が「つまらない」の決定打になるのは、ほんっとーーーによくわかる。

 

 私も同じようなこと、何回もあったなあ。

 今だったら、「石田ゆり子って、いくつになっても綺麗だしナチュラルでいいよね」と言われたら即座につまんねー男だな! と烙印を押すだろう。

 

 そんなちっぽけなことで人を判断すべきではないという人もいるのかもしれないが、私はこの感覚を結構信用していて、だから習子には、賢介とは別れた方がいいと言ってやりたい。

 

 それは異性に限らず同性でもいえることで、昔から「福山雅治が好き♡」という女とは友達になれないと思っている。

 じゃあ誰(が好き)ならいいのだといわれるとその基準は明確ではない、でも、とにかく福山はダメなのだ。

 

 ズレてきた話を更にズラすと、あざとい女は合コンで「芸能人でいったら誰がタイプ?」というベタベタな質問に「ムロツヨシ」と答えるようにしているという話もあるので、男性はうっかり鵜呑みにすると痛い目に遭う(かも)。

  

 

 ところで私が合コンで同じことを訊かれたら、何が正解なのだろう。

 

 オダギリジョーと答えたら男は引くのか。

 メロガッパの佐久間さん(右の人)ですと言ったら誰も知らず白けるのかだろうか。

 

 “ちょうどいい”人って誰なのー?

 まあ合コンの予定なんてないから困らないけどさ。

 

 

追記(誤読されないよう一応):

実名で挙げた広末さん、石田さん、福山さんについては、あくまでセンスの問題の一例として挙げたまでで、そこが合うかどうかは大事だよねという意味でしかないと念のため明記しておきます。