他人を下に見ることで安心したり優越感を得ることは、しばしばある。
以前はわりと無自覚だったそのことに最近は意識的になっている。
あ、私は今この人を見下したのだな、自分の方がマシだと思おうとしたな、そう俯瞰する。
それで反省するかといえば、実はほとんどしていない。
見下すなんてさもしいことは止めなければ! というよりは、今私は誰かを見下すことでしか安心できない状態なんだと理解し、そうしなければならなかった自分を少し可哀想に思う。
そんなことせずに済むならそれが理想だけど、折に触れ相対的に感じたり判断することをなくすのは、ほとんど不可能に思える。
逆に人から見下された時のあの不快感、あれは一体どう表現すれば良いのだろう。
カチンとくるのは、一つは馬鹿にされたことそのもの、そしてもう一つ、そもそもこちらが相手を下に見ていて(少なくとも上には見ていなくて)、その“下にいたはず”の人に見下されるのが不本意だ、という二重構造で「なぬ!?」 と腹立たしい気持ちになるものだ。
そうして、下に見たり見られたり絡み合う人間関係の網の中で生きている。これからも、生きていく。
――なんてことを考えているタイミングで、この本を手に取った。
おおー、書いてある書いてある。私が思っていたことがしっかりと!
前半、著者は幼少期にまで遡り、幼稚園→小学校→中学……と、小さな集団からだんだん大きな社会に移行しながら、各ステージでの上下関係を分析している。
そこでは、心情的なものというよりは集団の共通認識として在るピラミッド型のシステムの中での上下関係に焦点をあてている。
そのへんは「ふむふむ」と軽く読み流していたのだけど、後半になって、大人同士の、とくに女同士の上下に触れてくると静観はしていられない。
しっかりどころか、そんなことまで言っちゃうの?! ということも包み隠さず綴られているのだ。
とくに目を見張ったのは「ブス」の章。
まず木嶋佳苗のことを、端的に言うなら、彼女は「ブスだから」話題になっているのです。もっと正確に言えば、彼女の話題性は「ブスなのに、まるで美人がするような犯罪をしでかした」というところにあります。とジャブを入れ、「女はブスが嫌い」と展開していく。
私を含め、中途半端な容姿の人がブスを嫌うのは、「自分とブスの間に、きっちりと一線を引いておきたい」と強く思っているからです。中途半端な容姿の者は、化粧や服装で頑張れば、「きれい」と言われることもあるかもしれません。が、反対に服や化粧に手を抜いたり、ちょっと太ったり老化したりすることによって、簡単にブスになることができる。我々は常に、「私もブスなのでは?」という不安と戦っているからこそ、ブスと自分を区別しておきたい、と思っているのです。
これを読んで、“中途半端な容姿の者”の一人である私は、ギャーと本を壁に投げつけたくなった(電子ブックだから投げなかったけど)。
私は特定の誰かに対して「ブスが嫌い」と思ったことはない。が、正直にいえば「私はそっち側じゃない」と思っている。「美人ではないのは認めるが、ブスでもない」とぬけぬけと思っているそのことを赤裸々に語られてしまうと、文字通り裸にされたような恥ずかしさで見て見ぬふりをしたくなるのだ。
しかし酒井パイセンは容赦ない。
自分のブスに気づいておらず、ブスっぽくない態度、というよりほとんど美人としての態度をとるブスがいると、我々はイライラします。日本人は、「分」とか「相応」といったことを大切にする国民なのであって、「容姿にも『分』ってものがあるだろう! わきまえろ!」と、言いたくなる。
これに呼応するように、ブスを売りにしている(でも本当のブスじゃない)大久保佳代子さんが、「ブスで生きるのが辛い」という女性からの相談を受けてこんなことを言っているのをきいた。
(以下要約)
まずブスだと気付かないことが一番幸せ。どこかに自分のことを可愛いという人がいると思って生きていった方が絶対に幸せになれる。既に気付いてしまったなら、低レベルの合コンに行って、お前の分際で私に話しかけんなと上に立つ、または自分よりブスな友達を集めて安心する、など人を見下せば良い。上ばかり見ていたら落ち込むだけだから、見下す(ことによって得る)力も時には必要。
潔い!
積極的に「下」を作って精神の安定をはかることも完璧ではない私たちが生きていくには必要なのだと、後ろめたさの欠片もなく言ってのけるなんて、カッコいい。
酒井さんのいう中途半端な容姿の人がイラっとくるのは、自分がブスだと全く気付いていない幸せなブスへの嫉妬だ。
中途半端な者は上を見ては焦ったり凹んだりしているというのに、下にいるはずのブスが堂々としている、それが気に食わない。木嶋佳苗への反感も恐らく同じところから発生していて、中途半端層の厚みを感じる。
ひと昔前に“ナンバーワンよりオンリーワン”という内容の歌が爆発的に流行ったがどうも好きになれなかったのは、やっぱり私の中には「そんなこと言ったって、みんな結局どこかで抜きんでたい、上に行きたいと思ってるんじゃないのー」「オンリーワンだって、要は人と違う個性があるから上なのだという選民意識じゃないか」という疑いが常にあるからだと、本書を読みながら再認識した。
人類みな平等なんてキレイごと
だから、最後に著者がまとめているように「せめて口に出さない」のが今のところの最善策だと私も思う。
(容姿のことに限らず)上だ下だは胸の裡におさめ、他人と争うためではなく自分を慰めるための便利な機能くらいにわきまえておきたい。