私は平地を歩くのが好きで、散歩は数少ない趣味の一つといってもいい。
知らない道に迷い込んでも敢えて地図は見ず、行き当たりばったりにとにかく歩く。
自然の多いところに限らず、東京でもずいぶん歩いたし、今いる大都市でも目的を持たずにうろうろやっている。
逆に山登りは大の苦手で、大人になってからはほとんど登っていない。
上り下りの道を、息を切らしながらパンパンに張った足で歩く行為はただしんどいだけで、わざわざ無理をしてまで登ろうという気にはならないのだ。
最後に登ったのは、ネパールのポカラにある名もなき小山。
その頃私は、目の前にヒマラヤ山脈がパノラマで見える街にいながら、「おお、今日もマチャプチャレ(魚の尾っぽの意。シャキーンと鋭く尖った山)が美しいのう」とただ眺めるだけの毎日を過ごしていた。
今思えばロックダウンでもないのに自主ロックダウンのような生活(いわゆる沈没)で、宿から100m先の店に食料を買いに行くだけの日も珍しくない、そのくらい行動範囲は狭く、だらだらとした時間が流れていた。
食べるだけで動かないのだから、当然、体は重くなる。
そうなると人間、不思議なもので、「動かなければ」「何かしなければ」という警告が内側から湧いて来る。そのくらい暇だった。
突如私は、山にでも登ってみるかという気になった。
その場所は、ヒマラヤトレッキングのスタート地点でもあって、トレッキングをしてきた人及びこれから挑む人たちが身近に滞在していた影響も、少しはあったかもしれない。
とはいえ本格的な登山なんてするつもりはないので、遠足気分で行けそうな適当な山に登ることにした。
当日の朝。
早起きをして、近場の山を目指し、いざ出発。
途中のカフェでコーヒーを飲んだあたりでは、「これから山に登るのだ!」と、一人盛り上がっていた。
そこから3,40分ほど歩くと、ちょうどよさそうな山の麓に着いた。
この山にしようと決め、「お菓子をくれ」とせがんでついてくる子らをあしらいながら、いよいよ山登りが始まった……のだけど……。
小一時間ほど経った頃だろうか。
帰りたい……
もう私は音を上げていた。
森のような高い木々ばかりの道なき道をひたすら上へ向かっていても、ゴールは見えない。
周りには、誰もいない。
疲れた。
なんで山に登ろうなんて思ったんだろう。
イエティはないとしても、山賊に襲われたらどうしよう。
後悔ばかりが頭にあって、全然楽しくない。
でもここで引き返すのは口惜しい、という思いだけで、仕方なしに上へ進む。
そこからどのくらい歩いたかは全く憶えていない。
ひたすら歩いて歩いて、ようやく頂上っぽいところに出た。
なんとそこには小さな学校があった。
のぞいてみたら、わーーーっと蜘蛛の子のように子供たちが集まってきた。
実はこの小学校の記憶が、私の中で夢のようになっている。
本当にそんな学校があったのか、自信がない。
辛い思いをしたけれど、最後に楽しいことがあったから良かったのだと思い込みたくてねつ造したんじゃないかと疑ってみたりもするのだけど、何しろ同行者どころかそこに着くまで誰にも会っていないのだから確かめようがない。
はっきり憶えているのは、傍に小さな店らしき小屋があったのを見つけて、チャイを一杯飲んだことと、そこのおばあちゃんが「ほれ、食いなさい」とくれた蜜柑が超絶美味しかったこと。
ようやく一息ついた時のチャイの甘さ、蜜柑の瑞瑞しさは絶対に幻ではない。
しばらく休んだ後、暗くならないうちにさっさと帰ろうと思って、また適当なところから山を下った。もう気まぐれで山には登らない、と心に誓いながら。
そして、十二年間、その誓いは破られることなく今に至っている。
これが、私の『山女日記』、というにはあまりにしょぼい(多分、あの山は高尾山よりも低かったはずだ)。
けれど、何が言いたいかといえば、そんな陸女でもこの小説を読んでいるうちに山の魅力――少なくとも、なぜ好んで山に登る人がいるのか――がわかった気がする。
頂上からの美しい景色でも達成感でもない。
いや、それらは間違いなく醍醐味なのだろうけど、そこに辿り着くまでの道中、日常で纏っている鎧が一枚一枚脱ぎ去られることに山の持つ力を感じる。
恰好つけなくていい。恰好つける必要なんてない。山は、そういうところ。
各章の登場人物が山に登る理由や経緯はまちまちだけど、共通しているのは、山で自分を見つめ直したいという思い。あるいは、そんなつもりでなかったとしても、結果そうなっている。
そこが「山ガール」という軽い響きと一線を画した「山女」たる所以。
ちなみに「山女日記」というのは、流行に乗って山に登るのではない真面目な山好きの女性が登山情報を発信しているサイトの名前。登場人物はみな、私は山ガールではない! という矜持があって、実はこのサイト内でも薄く繋がっているのが面白い。
山女たちは、結婚、離婚、不倫、家族関係など、それぞれが迷いや葛藤を背負っている。何かに怒り、嫉妬をし、疑問に思い、不安を抱えている。なんというか、生きている。
がちゃがちゃと動きのある生活の中では気づかなかった、気づいても見て見ぬふりをしてきたさまざまな感情と、山でじっくりと向き合っていく。
もちろん、山に登ったら万事解決というわけにはいかないし、山を下りればそこにはまたいつもの日々が待っていて、問題は依然として残っている。
でも、山以前・山以後で、彼女たちの心には明らかな変化が見える。
曖昧に広がっていた靄がスッキリとしているのだ。
また山に登るのもいいかも、性懲りもなくそう思ってしまった。
それは、軽やかになっていく彼女たちの姿からだけではない。
ところどころ出てくる小道具が良い演出をしている。
神崎さんの本格コーヒー。由美が持参した山のおやつとは思えないデパ地下の高級和菓子。希美のフランスパンに珍しいパテを塗って食べるアイディアもいい。(食べ物ばっかり)
私なら何を持って行くか、しばし妄想に耽るも、そういえば私が住んでいるところは360度見渡しても山が一つも見えない場所だったと、急にそのことが残念になる。
ポニーの丘(キャンディ・キャンディ)くらいの程よいところでもあればすぐにでも行くのに、そんなものもないので、やっぱり私は今日も平らな地面をてくてく歩くのだった。