世界広しといえども、日本人ほど血液型に拘る国民は他にいないんじゃないだろうか。
A型は几帳面でB型は自己中でO型は大らかでAB型は二重人格であるというような共通認識が普遍的にあって、私自身、中学生くらいではもうしっかりと刷り込まれていたと思う。
それに準じて自分の性格はどうである、好きなアイドルは~型だから相性がいい、あの人は~型っぽいところが嫌いだ、など多くのシーンで血液型による性格分析が介入してくるし、そのどれもを疑うことなくさも根拠があるかのように受け入れている。
世の中の人間を血液型だけで4つに分けられるはずがないという理屈もどこかでわかっていながら、あながち外れてもいないという経験と確信もまたあるのだ。
大学で心理学のレポートを書くにあたって「血液型は性格に影響しない」という学説を読んだこともあるけれど、それでも既に染みついている信仰心が消えることはなかった。
そんな日本国民にとっては常識のようになっていることが、どうやら他の国では違うらしいと気づいたのは結構大人になってからのこと。
十二年前に、カトマンドゥのカフェで隣り合わせて雑談をしていたカナダ人に、なぜ日本人はすぐに血液型を訊くのかと真顔で言われた。
曰く、日本人と出会うと、What is your name? Where are you from? の次くらいにWhat is your blood type? となるのが不思議で仕方がないのだと。
さすがにそれは盛っていると思ったけれど、確かに話の流れによってはそんなによく知らない人にも「何型?」と尋ねるのは不自然なことではない。
そのカナダ人には、理由はわからないけれど我々は血液型でどんなタイプの人かを見る癖があるのだと説明をしたら不可解ながらも面白がっていた。
それから二年くらいして、英国人と旅をしていた時にも同じようなことがあった。
共通の友人のことを私が「あの人はB型だからね」と言ったら、だから何なのだという顔で全くピンときていなかった。
それで私はまた前述と同じ説明をして、ところであなたは何型なのかと訊いたら、彼はなんと自分の血液型は知らないし気にしたこともないと言った。
外国人にはわりとこういう人がいるのはぼんやりと知ってはいたけど、身近にいるとやっぱり驚く。自分が何型かを知らずにいるなんて、己の10%か15%くらいを見ずに生きているようなものに思えるのだ。
そこから私が血液型で性格はある程度わかるのだと力説していたら、じゃあ何型か調べてみようと、地域の診療所で血液検査をすることになった。
調べる前に、「何型だと思う?」と訊かれたので、人当たりが良く寛容なところはO型っぽいけれど、内面はすごく繊細だからA型だと思うと当てにかかったら結果はO型だった。日本代表の面目丸つぶれ。
と、血液型のことになると饒舌になるのもまた然り。
なかなか本題に入れなかったが、この小説はタイトルの通り血液型が関係する殺人事件のミステリだ。
主人公は医大生で、大学で師事している博士が変死した事件に巻き込まれていく。
博士が亡くなった自室にはこんな脅迫状が残されていた。
Erinnern Sie sich zweiundzwanzigjahrevor!
Warum O× A → B ?
これはドイツ語で「二十二年前を思い出せ」、Warumは「何故」、続く記号はおそらくO型とA型からB型が生まれるか? の意になる。
中編の推理小説なので中身にはこれ以上触れないでおくけれど、著者は江戸川乱歩の最大のライバルだった探偵作家で、「純粋に謎解きの面白さを追求した本格派」(「」内はWikipediaによる)というだけあって、ぐいぐい読ませる。
これでようやくどっぷり浸かっていた太宰の沼から抜け出せたかもと、自ら嵌りにいっておきながら何とか陸に引き上げられたような心地でいる。