ある時期からこの著者に警戒心を持つようになった私は、読む前から、この本にはうげえっとなるようなことも書いてあるかもしれない、と身構えていた。
うげえっとなるというのは、このブログで何度も書いている、綺麗すぎるスピリチュアル論に対するアレルギー反応のことで、人生相談ともなれば前世も宇宙もナントカの法則も総動員で出てくるにちがいない、煙に巻こうとしたってそうはさせないぞ、そんなふうに思っていたのだ。
先入観って恐ろしい。
地に足のついた大人の常識的な受け応えを読みながらすぐに反省。
霊魂や輪廻の話になりそうなトピックでもそうはならず、むしろドライといってもいいくらいの回答は、私にとって良くも悪くも心を揺さぶることはなかった。
Q12 女性が社会で働くというのは、いろいろな意味でものすごくたいへんなことに思われます。なにを心がけたら、心身ともに健康でいられるのでしょうか?
結局は、どこまで己を捨てず己を愛しながら、ちょっとてきとうさも取り入れ、完璧だという評判から常にダッシュで逃げつつ「もらうお金よりもちょっとだけ多く働くか」です。
多く働くのはちょっとだけでいいのですが、お金分ちょうどだけ働いていると、上司は必ず気づきます。そしてさぼっている印象を実際の働き以上に与えてしまう。
「もらうお金より」と意識したことはないけれど、頼んできた人の思っているよりちょっとだけ良いものにしよう、というのが会社員時代――事務のプロとして下働きバンザイの精神で働いていた――の私のモットーだった。
頼まれた仕事に一つ工夫を加えたり、少し先を見据えて事前に手を打っておく。そうすると、結果的にやっておいて良かったと思うことが本当によくあったし、そこまでする必要がなかったとしても、決して無駄働きをしたと感じることはなかった。
それは私が周りの人に恵まれていたおかげも大いにあるかもしれない。「ちょっとだけ多く」やった仕事はちゃんと誰かが見ていてくれたし、役に立ったと言葉で返してもらえる環境だったから。
それが今の職業になってからは、そうもいかなくなった。
手間をかけようとすればどこまででもかけられるし、先を見据え始めたら果てしなくなり、気付けばゴールのないレースを全力で完走しようとするあまり他の多くを犠牲にしている。
やっぱりこの「ちょっとだけ」多くというのがミソで、やればやるほどいいわけじゃないのだと、改めて思った。
仕事の完成度よりも、心身ともに健康。こっちの方がどれだけ大事か。
とはいえ、ばななさんの言う「お金分ちょうどだけだと実際以上にさぼっている印象を与える」というのも妙な真理でもあるので、やり損と考えずにちょっとだけ盛っておけばきっといいことがあるはず。
それにしても、こういう悩みを会ったこともない作家に相談する、相談したくなる、そういう人たちが、他人の不幸を覗きたい人と同じくらい結構な数でいるのだなあと、世の中のメカニズムといえば大袈裟だけど、そんなようなものを見た気がする。