乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#38 夢を売る男  百田尚樹著

 

 もう十数年も前のことになるが、共同出版を主な業務とする出版社でバイトしていたことがある。

 共同出版というのは、一般の出版(出版費用を出版社が負担する)と自費出版(出版費用を著者が負担する)の間、つまり出版費用を出版社と著者で折半して本を出しましょうというシステム。

 ここでいう著者とは、私たちが日ごろ手にする本を書いている作家ではない。ドがつく素人だ。素人でありながら、自分の書いたものを書籍として世に出したいと切望する謂わば自己顕示欲の塊のような人々がこんなにも存在するのかと、しこたま送られてくる原稿を見てただただ驚いたものだ。

 

 

「たしかにうちも詐欺まがいの商売をしている。しかし守るべき一線は守っている。それが丸栄社の誇りだ、客に嘘は言わん」

「駄作を名作とは言ってますが」

「それは主観だから嘘じゃない。名作と信じて、名作だと言えば嘘じゃない。売れると信じて、売れると思うと言えば嘘じゃない。(中略)」

「たしかに、そういう意味では丸栄社は詐欺はしていませんね」

「詐欺というのは、本人が騙されたと知って初めて成り立つ犯罪だからな」

 

 

 この小説の主人公・牛河原は、まさに私がバイトしていたのと同じ業態の出版社(丸栄社)に勤める辣腕編集部長。

 彼の持論「嘘は言っていない=詐欺ではない」がこの商売のキモになっている。

 

 

 私は事務屋なので自分の与えられた仕事を訝しがったり罪悪感を持ったりすることはなかったけれど、所属していたのが営業部という名の‘カモ’を釣る部署だったのだから、今になれば、のほほんと見積書やら契約書を作成する行為は間接的とはいえ詐欺まがいに加担していたともいえるなあ、とは思う。

 が、詐欺まがいと詐欺は違う。限りなく黒に近いグレーきわっきわのところで成り立つ、詐欺というより煽動。そのくらいに捉えていた。

 

 

「ある種のタイプの人間にとって、本を出すということは、とてつもない魅力的なことなんだよ。自尊心と優越感を満たすのに、これほどのものはない。とくに日本は本の持つ価値が高い。読書が趣味というだけで一目置かれる国だからな。その本を出す著者となれば、さらに一目置かれる存在になる」

 

 

 

 何者でもないその他大勢から抜け出し、何者かになりたい

 

 

 

 人々に潜む飽くなき欲求をくすぐり、決して安くはない金を払わせるのが牛河原の腕の見せ所だ。

 

 あなたの作品は○○賞の最有力候補だ、あなたは天才だ、作家になるべき人間だ等々、あの手この手で褒めそやし、ニンジン(夢)をちらつかせておいた後で、「今回は残念ながら賞は取れなかった。でもどうしてもこの素晴らしい作品を出版したい。そこで……」と共同出版(本作ではジョイント・プレス)を持ちかける。

 一旦夢心地になった者は、もう元には戻れない。是が非でもニンジンをつかみ取りたくなって涎をだらだら流しているのだから。

 

 

「とにかく、今、決めることはない。百四十七万円は大金だ。一時の勢いで決めるのは絶対に良くない。ゆっくり考えてから決断しなさい。少しでも不安に思っている時は、絶対に契約してはいけないよ」

 

 

 鼻息の荒い馬の手綱を引くかの如く、強引に払わせるのではなくあくまで本人の意思で、それも喜々として払いたくなるように持っていくそのやり方は圧巻としかいいようがない。

 不安なら絶対に契約してはいけないだなんて詐欺師なら言わないだろうという逆説の駆け引きが巧すぎる。私だって、こんなふうに言われたら信じてしまうに決まってる。

 

 

 しかしその実、牛河原がしていることはとても簡単なことだ。

 火のない所に煙は立たぬの原理と同じで、もともとその人が密かに持ち続けていた火種にそっと火を点ける。何もないところに闇雲に着火するのではない。「誰か」が火を点けてくれるのを待っていた、そこを狙って手を差し伸べるだけ。

 

 牛河原はそれを「カウンセリング」だとうそぶく。

 

丸栄社に原稿を送ってくる奴の半数近くが、心に闇を抱えている。まあ、そういうものがないと、本なんて書けないのかもしれないがな。(中略)そういう人間は本を出すことで、憑きものが落ちたみたいになることが少なくない。大垣萌子も少しは楽になるだろう」

「だから、この商売は一種のカウンセリングの役目も果たしてるんだよ」

 

 

 しかし、これは本当の意味でのカウンセリングではない。

 ‘カモ’にされているのは、フリーターや三流大学の学生や平凡な主婦などで、彼らは共通してこれまで何者かになる努力をしていない。していないのに、自分には人と違った才能がありそれは称賛されるべきものだし本を出せば必ず売れるとなぜか自信だけは持っている。これで一発逆転できると本気で信じている。

 が、金さえ出せばすべてが満たされるなんて、世の中そんなに甘くはない。だからこの方法で本を出すことは、彼らにとって救いになどならない。

 確かに本を出すまでは短い夢を見ることができるけれど、天才でもなければ秀才ですらない彼らの本は売れるはずもなく、むしろ以前よりも大きな絶望感を味わうかもしれない。

 その時点で、彼らは「詐欺に遭った」と思うのではないだろうか。だとしたら、嘘はついていなくても「詐欺というのは、本人が騙されたと知って初めて成り立つ犯罪だからな」の論理上、詐欺が成立する。

 

 

 

 それにしても、なぜ人は、何者かになりたいという欲求から逃げられないのだろう。

 

 何者かにならないと、己の存在価値を見い出せないのか。

 何者でもない者として満足はできないのか。

 

 何者でもない小さな存在でいることも、悪くはないけどなあ。

 

 こうしてブログに好き勝手書いても叩かれず炎上もせずいられるのは、私が何者でもないこそが故。だから私はそう思う。

 

 

 いずれにせよ、百田氏の巧いのは、牛河原に暇があれば鼻くそをほじらせる(若干やりすぎではあるが)‘抜け感’と‘そこに愛はある’センチメンタリズムを施した点だと思う。

 単なる業界の裏事情の暴露と批判だけでおわりそうな題材が、このエッセンスを加えることで後味はまろやかになってる。

 イヤ~な読後感も嫌いではない私のような読者は少数派で、なんだかんだで「いい話」を好む読者が圧倒的に多いということをよくご存知なのでしょう。