乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#28 もう消費すら快楽じゃない彼女へ 田口ランディ著

 

 終電を逃した田口さんが新宿駅の地下通路を呆然と歩いていると、一人の女性が首から看板を下げて立っている。

 

 

「私の詩集を買ってください」

 

 

 聞けば彼女は詩集売りの「三代目」だと言う。

 

 一人の女性(二代目)がいつもここで詩を売っているのが気になっていて、ある時、詩集を買った。どうして詩を売っているのか尋ねたら、「わからない」と答える。

 

 昔、ここで同じように「私の詩集を買ってください」という女の人(一代目)がいたのだが、ある日突然いなくなった。なぜか彼女のことが気になってしょうがなく、自分が彼女の代わりに詩を売ってみようと思い、二代目になった。

 

 その二代目も、ある夜、看板と何冊かの詩集を置いたままいなくなって、やはり気になった三代目が、代わりに売るようになった。

 

 妙な話だが、そういうことらしい。

 

 

「じゃあ、なんで? なんであんたたち詩を売ってるの?」

「だから、わからないんです。でも、こうして立っていると、なんだかとても落ち着くんです。(中略)自分のやるべきことがとてつもなくはっきりしていて、なんだかここに存在している、生きているって思えるんです」

 

 

 三代目のこの台詞が、私がブログを書いている理由と酷似していてドキッとした。

  

 もともとは、本を読んでもすぐに忘れてしまう自分の記憶力の悪さと、せっかく読んで何かを感じたのならそれを記録しておきたいと思ったことがきっかけではある。

 

 でも本当にそれだけなら、何もブログという形を取らなくても、Wordファイルに保存しておけばいい話。

 なのに、わざわざこうしてインターネット上で公開しているのは、雑踏のなか「私のブログを見てください」と看板を下げて立っているのと同じではないか。

 

 

 お金のためでも、有名になるためでもないから、実際にどれだけの人が見ているかは問題ではない。無数の人が行き交う雑然とした通路で、時に人の目に留まったり、多くは留まらなかったりしながら佇んでいることが気持ちいいと感じる。

 

 また、私の場合は、書いたものを公開する瞬間というよりは書いている最中に感じることではあるけれど、読み⇒考え⇒言葉を選んで並べるという一連の作業が「自分のやるべきことがとてつもなくはっきりしていて、なんだかここに存在している、生きているって思える」のだ。

 

 

「ねえ、三代目はいつまでここで詩集を売るの?」

「わかりません。気が向いた時に来て立っているだけだから。こうして週に何度かここに立っているだけで、なんだか元気になるんですよ、私。ふふふふふ。昔は死にたくてしょうがなかったのに。ふふふふふふ」

この時、初めて三代目が笑うのを見た。

 

 

 この話は、ホラーでもなんでもない。

 新宿でも、昔住んでいた下北沢でも、こういう人をたくさん見たことがある。

 そして、私の中にも、詩集売りは存在している。

 

 

 

 余談だけど、「私の詩集を買ってください」というフレーズを見て真っ先に思い出したのは、かもめんたるの『言葉売り』というコント。

 田口さんのコラムとは全く内容は違うのだが、路上で自作の言葉を売る人たちには共通する独特の危うさがあって、それを笑いに変えた秀逸な作品で、私の一番のお気に入りだ。