乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#40 小野寺の弟・小野寺の姉 西田征史著

 

 タイトルのまんま、小野寺家の姉(より子)と弟(進)の日常が、それぞれの視点から交互に語られていくお話。

 

 まるで小劇場でお芝居を観ているようだと思ったら、映画化だけじゃなくちゃんと(というのも変だけど)舞台化もしていたようだ。

 私はどちらも観ていないけど、映画と舞台、ともにより子役は片桐はいりさん、進役は向井理さん。

 

 片桐はいりさんは、唯一無二の演技をなさる、私の好きな俳優さん(敢えて女優とはいわない)の一人だ。

 彼女の存在感がスクリーンや舞台を飛び出してこの本を読む私の脳内にまでぐいぐい侵入してきた。

 

 

 

園内をぬぼぉと見て回っていたら、三度目のスワンを乗り終えた姉ちゃんが声をかけてきた。

「いよいよ行くわよ」

「は?」

「ジェットコースターよ。わざと乗らないで焦らしてたの」

(中略)

「お楽しみは後に取っておくタイプなの」

明らかに格好をつけた口ぶりで告げ、姉ちゃんは乗り場に向かい始めた。

 

 

 これは、スーパーの福引で当てた花やしき(遊園地)へ姉弟二人が赴いた際のワンシーン。

 

 より子は完全にはいりさんの風貌と表情と発声でもって生き生きと立ち回り、私を小さく笑わせる。より子自身は、決して人を笑わせようとはしていない。だからこそ笑える。

 休日の寝坊ができない。余った時間(自由時間)の使い方がわからない。目的地がないのに歩くことができない。そんな真面目さが生むおかしみだ。

 

 

 こつこつと全乗り物を制覇していきながらジェットコスターは最後にとっておく律義なより子。

 そんなより子であるから、恋愛においても真っ直ぐ真面目な姿勢で取り組む。

 そう、恋に‘落ちる’あるいは‘溺れる’というような甘美な響きとは程遠く、まるで重大な任務のように「取り組む」のがより子がより子たる所以なのだ。

 

  

 勤め先の眼鏡店に出入りするコンタクトメーカーの浅野さん(進は‘ワンデーの人’と呼ぶ)に思いを寄せる件(くだり)は可愛くて仕方がない。

 

 

お箸の持ち方がとても綺麗そう。

焼き魚を上手に食べきりそう。

でも、カレーライスは後先考えずに頬張ってライスを余らせてしまうような少年ぽさも持ち合わせていそう。

そんなイメージ。

 

 

 中学生だってもっとこなれているだろうに、四十路でこれはもはや天然記念物じゃないかと思うくらい純で乙女な恋。なんだけど、妄想の内容は四十女のそれ、というギャップがやっぱりくすりと笑える。

 

 この恋はやがて私の胸を痛ませる切ない話へ展開していくのだが、その顛末をここに記録することはあまり意味がないのでしないでおく。

 

 ただ、好きな人と初めて待ち合わせをしたときの高揚と緊張、果てしなく繰り返されるシミュレーション、自分が自分でないような浮いた感覚など、私がしなくなってから四半世紀くらい経っているんじゃないかというようなことを思い出し、追体験し、しんみりと残った余韻だけは覚えておきたい。

 

 

 さてこの小説はもう一つ、早くに両親のいなくなった(その細かい経緯は書かれていない)より子と進の姉弟愛というのも大きなテーマになっている。

 

 私はちょっとやそっとの‘家族のいい話’でほろりとくることはないのだけど、今回は素直に、そして柄にもなく、家族(きょうだい)っていいなあと思った。

 そして昔から持ち続けていた「弟が欲しかった」願望が、今更100%不可能とはわかっていながらどうしようもなく再燃したのであった。