乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#147 コメント力  齋藤孝著

 

 

 著者は、長い文章はコメントではないと定義しているが、私はいうなればこの感想文もある本(時々映画)に対するコメントだと思っている。

 

「良かった」「面白かった」だけでは何の意味もないので、自分が感じたこと、紐づいて思い出したこと、常々考えていたことなどを、でき得る限り言語化することを目標にしている。

 それがなかなか難しく、自分の言いたいことを本当に書けたと思うのは10回に1回くらいだろうか。

 

 

 会話の中で、短いセンテンスあるいはひと言で的確かつインパクトのあるコメントを生み出すのはもっと困難であるのは言うまでもない。

 世の中に存在する「名言」の類は、もはや熟考から出た言葉ではなく偶発的に発言者の中からこぼれ出た事故(良い意味でのハプニング)のようなものなんじゃないかとさえ思う。

 

 

 さてこの本では、国内外の著名人が残した秀逸なコメントを取り上げながら、どこがどう優れているのかを解説し、また読者がどうやってそのようなコメント力を身に付けていけばいいかを教えている。

 

 例として出て来るコメントのほとんどは初見のものだったので、ああ、あれは確かに素晴らしいコメントだった! という記憶はなかったけれど、言葉そのものだけでなく、「誰が」「いつ」「どんな状況で」「どのような言い方で」を含めて多角的に分析されているので、とても参考になった。

 

 面白かったのは、『エースをねらえ!』という女子テニス漫画の宗方コーチが主人公・岡ひろみにぶつける激励の数々。

 

 幼少期にテレビアニメで見た覚えはなんとなくあるけど、子供向けとは思えないことを言っていたのが今になってわかった(昔のアニメを大人になって見返すと、これは子供にはわかるまい、ということがよくある)。

 

 テニスに打ち込むひろみも、一人の女の子として恋に落ちる。そして恋の揺らぎはプレイにも影響を及ぼす。そんなひろみに宗方コーチは言う。

 

 

「恋をしてもおぼれるな。いっきにもえあがり、もえつきるような恋はけっしてするな!」

 

 松岡修造か!

 

 

 それはさておき。

 一つ触れておかなければならないのは、コメントにはその時々の時代背景が必ずくっついてくるということ。

 

 この本が出版されたのは2004年(文庫は2007年)で、当然使用されているコメント例はそれ以前のものだ。

 

 いつを境になのか判然としないが、気付けば何を言うにもコンプラコンプラの時代になった今。

 迂闊に本音を漏らせば、やれ○○ハラだ差別だと騒がれ炎上する。

 それを避けようとするあまり、意味不明なエクスキューズばかりが先立ち、まろやかだけど結局中身のないようなコメントで溢れているつまらない世の中にももう慣れてしまった。

 

 本来コメントというのは、新しい切り口を見出したり、発言者の観察眼を知る機会でもあるはずなのに、オブラートに包まれすぎて開けてみたら空っぽというのは本当に勿体ない。

 

 反面、そう悪いことばかりでもないかもしれないとも思う。

 多数の人がこれはハラスメントではない、差別ではない、と前置きしてふわっとしたことしか言わないのだから、その中でしっかりと個人の見解としてコメントを残す人が際立つ。

 コメントの内容に同意はできなかったとしても、少なくともその人となりはわかるし、それだけで尊いと思う。

 

 

 私の好きなお笑いの世界でも、ふんわり派と、ずばり派に分かれていると思う。

 

 勿論私は後者を好むし、中でもコメント力高いなあと思うのはかもめんたる岩崎う大さん。

 それから、漫才の中で渾身のコメント力を発揮したのが2022年M1王者になったウエストランドの井口さん。

 

 通常同じ漫才を繰り返し見ることを私はしないのだけど、あのネタだけは飽きずに何度も見ている。

 

 あるなしクイズという形を取りながらの井口さんのコメント力だけで成り立っていると言ってもいい。

 

 警察に捕まり始めている!

 皆目見当違い!

 夢! 希望! 大会の規模! 大会の価値!

 

 コメントの語呂の良さと的中感は完璧だし、「誰が」「どんな言い方で」も相まっての爆発力だった。

 

 

 一般人の日常生活においても、コメントすること・聞くことは毎日のようにある。

 そしてちょっとしたコメントから、その人に対する印象や評価がぐっと良くなったり悪くなったりする。

 

 

 ありがちなのは、自慢が透けるコメント。

 自慢なんて聞いていて面白くも何ともない上に、聞き手から「すごいですね」のコメントを引き出そうとしているのが見え見えなのが無粋だ。

 こっちは「すごい」なんてコメントする気はさらさらないのに、勝手にそっちへ仕向けられるとますます褒めたくなくなる。

 

 あと、一見鋭いようでいて捻りすぎているコメントも扱いに困る。

 やはりそこにも「狙っている」という下心が透けてしまって、センスいいなあとは思えないのだ。

 

 目立ち過ぎても駄目、控えめ過ぎてもつまらない、じゃあどうすりゃいいんだという話。

 

 

 自分のことで言えば、褒められた時に返すコメントが一番苦手だ。

 日本人的に「いやいやそんなそんな」と謙遜するのが癖になっていることが嫌だなあとずっと思っていて、できるだけそれをしないようにしたいのだけど、どうしても照れや恥ずかしさの方が勝ってしまう。

 これは意識的にしないようにしていて、少しずつ直ってきているところ。

 

 目指しているのは以前映画『キッチン』の感想で書いた絵理子さん。

 

 私の中でコメント力ナンバーワンの彼女のコメントをもう一度引用して、終わりにする。

 

「今飲みたいと思ってたの!」

 

 即座にこういうひと言が出て来るにはコメント力を超えた人間力を鍛えなければ、とつくづく思う。