乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#1 ルビンの壺が割れた 宿野かほる著

 どっひゃー! というのが読後の第一声(実際声には出していませんが)。

 何がって、ラスト一行が。

 私はまったく前評判を知らず、つまりまっさらな状態で読んだのだけれど、このラスト故に世間では「賛否両論」とか「前評判がすごかったのに期待外れ」とか、大いにざわついていたらしい。

 

「期待外れ」という人々が何を期待していたのかは知らないが、この小説のラストはこれ以外あり得ない、というのが私の感想。

 と、いきなりラストから触れてしまうくらい破壊力をもった衝撃的な一行だった。

 

 もう一つこの小説の大きな特徴は、SNS上でのメッセージ交換がすべてであるという点。

 

 物語は、ある五十代前半の男が、大学時代の恋人(のちに婚約するが結婚式当日に女は現れず、それきり音信不通になった)をFacebook(以下FB)で見つけ、三十年ぶりにコンタクトを取るところからはじまる。

 メッセージのやりとりだけで、読んでいるこっちが恥ずかしくなるような「青春!」のエピソードや二人が恋愛関係、果ては婚約に至るまでのあれこれが語られていく。

 そして、半分を過ぎると雲行きが怪しくなり「実は・・・」というような話になっていき、それが衝撃のラストに繋がるという構造だ。

 

 湊かなえの『往復書簡』を思い起こさせる(こちらは手紙のやりとりのみ)手法で、ものすごく斬新というわけではないが、手紙と違うのは、まず「SNSで誰かを探し当てる」という作業をしているところである。

 ストーカーではない人間でも一度くらいやったことがあるんじゃないだろうか。

 私自身、メッセージを送る目的ではないにせよ過去の恋人を何の気なしに検索したことは、実はある。見つけたからどうというわけじゃないのに、その行為をした自分に「何やってんだろう」という恥ずかしさと罪悪感に似た感覚があった。

 

 若干話が逸れたが、この小説の二人のなれそめや現在に至るまでの過程は読めばわかることなのでここでは触れない。

 

 今回とくに感じたのは、「他人のメールのやりとりを完全な第三者として目にすると覚えるむず痒さ」だ。

 

 喫茶店や電車でたまたま近くに座った男女の会話が耳に入ったときはそんなふうに感じないのに、文章になると、なんだかむずむずする。

 

 なぜか?

 

 それは多分、会話の場合は双方が一定のトーンとスタンスを保っていることが多い(お互いにタメ口ならタメ口を使い続けるし、はっきりと上下関係があればどちらかは敬語でどちらかは非敬語、もしくは二人とも敬語、など)のに対してメッセージだと微妙なトーンやスタンスの変化が文字として浮き上がってしまうからじゃないだろうか。

 もちろん、会話とメッセージのやりとりではスパンが違うので後者はより変化しやすいのではあるが。

 

 とにかくその変化が、完全な傍観者として見る者に「むず痒さ」を感じさせる。

 とくにその変化は男性側に見られる傾向にある、と思うのは女性の側の偏見だろうか。

 

 この小説でも、男の書く文が本当に気持ち悪い。

 違和感、といっても良いのだが、気持ち悪いという言葉の方がしっくりくるので、何度もいう。気持ち悪い。

 

 具体的にいえば、最初は「FBで偶然見つけて思わずメッセージをしてしまいました」というようなことをものすごく丁寧な文体で送っていて、「返事は要りません」といいながら、相手から返信がないと再びメッセージを送る。それでも返事がこないと「これで最後にします」「もう送りません」といいながらまた送る。

 失礼のない紳士的な文体が逆に押しの強さを思わせていてもうキモい。

 さらにいうと、一通目の締めくくり。

 

私の住んでいる町ではもうすぐ桜が咲きます。

貴女の町ではどうでしょう。

 

 ロマンチックか!

 しかも、「○○さん」でも「○○ちゃん」でもなくまた「あなた」でもなく敢えての漢字で「貴女」。キモい。

 

 変化は宛名にも表れる。

 はじめは、相手のFB上のフルネームである「結城未帆子様」。それからかつての姓を使っての「田代未帆子様」。ここまでは良い。それが、何を思ってか突然姓をとっぱらって「未帆子様」に変わったときはぞっとした。そのうち呼び捨てにするんじゃないか(実際にはしなかったが)とひやひや。

 また、毎回さりげなく文末に相手の住所や現在の姓を聞き出そうとする件(くだり)があり、ストーカーのような粘着性が滲み出ていて怖い。

 

 この距離の詰め方と粘着性、そして、相手を立てているように見えながら「かつて英雄だった俺」(男は大学時代演劇部の部長で部員たちの憧れの存在だった)を前面に出してくる感じ。

 

 なんか、知ってる、こういう人。

 

 この小説の二人とは関係性も状況もまったく違うのに、この類のメッセージを私も受けたこと、あったあった!

 相手はやはり五十代の男性で、実際の知人ではなくSNS上で知り合い(?)、メッセージをしてきた人。

 基本の文体はとても丁寧、なのに突然フレンドリーになったり(そのタイミングがよくわからない)しながら、バリバリ仕事してる俺感を出してきたその人を、鮮明に思い出した。

 

 こういう押せ押せな暑苦しさとねちっこい感じは、おじさん特有だなあと思う。

 いくら丁寧な言葉遣いをしても滲み出てしまうほどのしつこさと、そのしつこさを隠そうとするエクスキューズがしつこさを引き立ててしまっていて逆効果な感じ。

 

 どうしてそうなるのか?

 

 思うに、こういうおじさんは共通して「過去の栄光」があって、それをいつまでも引きずっているのではないだろうか。

 元来のクズではなくそれなりに学もあったりするからタチが悪い。

 要するにプライドが高い。なのに会社や家で誰も褒めてくれない。だから外にいる誰か(絶対に異性)に褒めてもらおうとする。

 

 俺のことすごいって言えよ!

 

 そんなメッセージにしか見えてこない。

 

 そのプライドの高さは、自分からメッセージを送ることにくどくど言い訳をつけ、返事がこなくても平気ですよと先に言っておくところに顕著に出ている。じゃないと本当に返事がこなかったときに耐えられないから。

 さらには、下手(したて)に出てはいるが、相手の出方次第で急にキレそうな気配がぷんぷん漂うところにおじさん特有の怖さを感じる。

 

前に、返事は不要と書きながら、実際にお返事がないと少し落ち込みました。

 

 だから返事くれよー なんで返事くれないんだよー 僕チン落ち込んじゃってるんだよー

 という駄々っ子の声が聴こえてきそう。

 

 

 キモい キモい キモい!

 

 

――と、ほとんど気持ち悪いおじさんたちの悪口みたいな感想になってしまったが、先日も友人とこの話で大いに盛り上がり、結構あるんだよねーこの手の話、という結論が出たところ。

 

 男性、とくにこの男と同世代の男性が読んだらどういう感想を持つのか、とても興味がある。