乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#36 2 days 4 girls  村上龍著  

 

 

 そういえば文庫本の裏表紙にあるあらすじって、一体誰が書いているんだろう。編集者?

 文庫を買う時は必ず目を通し、買う・買わないの判断にもかなり影響してくるあのあらすじ。

 

 本書の場合は、こうだ。

 

心が壊れて捨てられた女たちを預かり、「オーバーホール」することがわたしの仕事だ。そして今、一人の女を捜して、広大な庭園をさまよっている。「明日からここに住みます」というメモを残してその人は姿を消した。彼女を譲り受けた頃、わたしには他に三人の女がいた……。官能を仲立ちに、人間はどこまで深くお互いに関与できるのか。男と女の関係性を問いかける、救済という幻影の物語。

 

 

 読後ですらなんのこっちゃという意味不明な文ではあるが、最初の一文“心が壊れて捨てられた女たちを預かり、「オーバーホール」することがわたしの仕事だ。”に吸い寄せられるように読んでみることにした。

 

 結論からいうと、私はこの小説を読んで男と女の関係性を問いかけられたとは思わないし、救済という幻影の物語だとも思わなかった。

 

 

 ただ、ずっと、「自己評価」について考える羽目になった。

 

 

そういった会員制のバーはたいてい都心の住宅街の高価な造りのマンションの一室にあって、金を持った男と自分を売りたい女が出会うためのサロンになっていた。(中略)

きれいな女でもまともな女はそういう場所には出入りしない。まとも、というのはきちんとした自己評価ができる女のことだ。そういう女たちは自分を評価してくれる男と不自然な形で出会う必要がない。自分を売りたいと思っている女にも頭がいいとか悪いとか当然いろいろな種類がいるが、共通しているのは自己評価が低い、あるいは自己評価という概念がないということだ。

 

  

 村上龍の小説にはこういった自己評価が低い女が度々出てくる。この小説で主人公が「オーバーホール」している女のうちの一人であるマキもそうだ。‘本当の自分が映っている気がして’鏡を見ることを怖がりながら‘本当の自分に巡り合えたら’変わることができると信じている。

 

 

 

「あなたは自己評価が低すぎる」

 

 私は過去に何度も人から言われたことがある。自分でもそう自覚し続けてきた。

  そのことで、マキのように特殊なサロンへ自分を売りに行ったりSMのイベントでアルバイトをしたり出会い系サイトに「誰か私のお尻を鞭で打ってください」という紹介文を載せたりはしない。しないけれど、私と、「まともでない女」たちとはやはり共通するものがあるのだろうかと、若干の不安を持ちながら物語を追っていった。

 

 

 自己評価が高くなるにも低くなるにも原因はあるはずで、私の場合も低評価になるにはいくつかの原因が考えられる。

 

 一番の根っこのところは生まれつきに近いものなのでここでは触れないが、あとはいくつか後天的に身につけてしまった「癖」のようなものがある。

 具体的には、日本の国民性でもある「謙虚さ」と「卑下」を取り違える癖、それから「内省」と「自責」をすり替える癖なんかもそれに当たる。

 

 

 しかし原因が何であれ、自己評価が低いということについては、あまり考えたくないことの一つだった。

 低いのならもっと高くしなさいよと強要されているような感じが、高い方がいいに決まってるとわかっていても苦しい。

 

 

 けれど、これを機にいっちょ向き合ってみるかとほじくってみたら意外な結論に達した。

 

 

  私の自己評価は低くはない

 

 

 じゃあなんだと言われれば、「低いふりをしてきた」のだ。

 

 もう少していねいにいえば、私はただ単に誤って自己評価を高く見積もらないよう注意深く気を付けているだけだった、ということ。

 

 

 なぜか。

 

 

 とんだ勘違いをした恥ずかしい人間になりたくないから。

 

 

 大した美人でもないくせにイイ女ふうに振舞う女とか、実際以上に自分が人気者だと思っているような人とか、なんでもいいけど、根拠のない自信を漂わせている人を見るとこっちが恥ずかしい、そんな羞恥心が私の中にあって、そうはなるまいと自らを戒めてきた結果が「自己評価を低く設定しておく」ことだったのだと思う。(文字にすると淡々としているが、これは私にとっては目から鱗の新発見で実は今密かに興奮している。)

 

  それがいつしか、本当に自己評価が低い気になってしまい、他人からもそう見られ、そのうち自分は自分を好きになれない卑屈な人間だと思い込むようになっていった。

 

 

 ある種の自己防衛だったものが自己批判の材料になっていたとは!

 

 

 と、気付いたところで「調子に乗ったら突き落とされる」という警戒心は消えないので、急に自信満々の私に生まれ変わるわけではない。

 

 時間をかけて剥がれないセロテープみたいに張り付いた癖というのはなかなか厄介で、でも、張り付いているものがあると知ってしまえばあとはまた同じように時間をかけて剥がすだけ。まずは角っこを爪でかりかりやりながら、身の丈に合った慎ましい態度で生きていこう。そう小さく誓いを立てた。

 

 

――なんて、綺麗に締めくくって逃げることもできるけれど、ここをさらにほじくれば私の自意識過剰な厭らしさに繋がっているのはわかっているので、そのうちまた別件で浮上する可能性は多分にある問題だ、ということだけ追記しておく。