乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#12 勝手にふるえてろ  綿谷りさ著

 

 

 ヨシカよ、お前はかつての私か!

 

 

 どこからどう切り込んでも過去の自分が顔を出す、金太郎飴のような話だった。

 

 ザ・恋愛! というのは愛し愛されている二人の壮大なラブロマンスでは決してなくて、片想い(この単語を最後に使ったのはいつだろう……)にこそ恋愛のエキスが詰まっていると、私は思う。

 

 この小説では、主人公・良香(ヨシカ)の片想いしている側の心理とされている側の心理が二人の男(イチとニ)を挟んでいったりきたりしている。

 

 どちらも自分の身におぼえのある(ありすぎる)心情が緻密に書かれていて舌を巻く。

 願望、絶望、思い込み、落胆、自己弁護、陶酔、憂い……どれもがリアルで、終始ヨシカに「ばかばかばか!」と突っ込みながら「しかしわかる。痛いほど、わかるよ」と肩に手をそっと置くような気持ちで読んだ。

 

 

 片想いの状態というのはひたすら神(あるいは教祖)を信じる宗教と同じで、周りから見れば妄信的なまでに、とにかく対象を崇める。

 

 ヨシカにとって中学時代から十二年も想い続けている相手(イチ)は神(あるいは教祖)であり、彼のまつ毛や顎のかたちだけでなく、神経質に手を洗う様も、はかなくなってきている頭頂部さえも愛で包み込んでしまえる。

 

 一方、自分のことを想ってくれる相手(ニ)は神でもなんでもないわけで、いたって冷静に観察することができ、その上で嫌悪を感じたり批判的になったりする。

 

  

 ならばニなんていっこう相手にせず、イチへの想い一本で突き進めばいいのに。

 ――とはいかないのが人間の弱さ。

 この弱さが、身に染みてわかってしまう。

 

 

 妄信的とはいえ、やっぱり恋愛と宗教が別ものであるのは、雲の上の人を雲の上の人で終わらせずにどうにかして手に入れようとする欲望が必ず存在するからだ。

 

 見ているだけでいい、想っているだけでいい、というのは最初だけ。

 小さな欲望の種は、見ているだけ→話しかけたい→私に興味もってよ→ていうかあなたに触れたい→私のものにしたい→他の誰かに興味もたないで……と加速の一途をたどる。

 しかし現実は現実として立ちはだかっていて、どうやらそんなことは起こりそうもないと教えてくるから、そのうち心は折れる。

  

 妄想で満たしきれない心が隙を生み、ならば自分を想ってくれるこの人に……と依存したくなるのはごく自然のことではないだろうか。

 

 

 あなたのこと、全然好きじゃないけど「私を見つけてくれた」「こんな私を好きでいてくれる」あなたは、必要。

 

 

 いうなれば、ニは救急箱のマキロンのような存在。

 普段は使われることなく、そこにしまってあることすら忘れられがちなのに、傷口に滲む赤を見ると「そうだ、あれがあった!」と急にありがたがられて噴射されるマキロン

 そうして傷を癒し「想ってくれる人もいる価値のある私」を保てるのだから便利なものだ。

 

  だから、ニを完全に拒絶することなく宙ぶらりんな関係をたもち、だんだんとニを受け入れる方向へ流れていき、ニすら失いそうになれば焦って取り戻そうとするヨシカを打算的だと非難することはできない。

 

 

自分の純情だけ大切にして、他人の純情には無関心だなんて。ただ勝手なだけだ。付き合ってみて、それでも好きになれないならしょうがない、でも相手の純情に応えて試してみても、いいじゃないか。

 

 

 わかるわかる。私も同じように自分に言い訳して、実際試してみたことだって、あるから。しかも一回だけじゃないから。

 

 ただ、私の経験だけでいえば、そういう相手とはうまくいくことがない。

 結局最初に感じていた「なんか違うな」という感覚は消えないし、好きになろうとしてなれるものではないのもずっとわかっているし、何より自分を誤魔化しきれずに破たんするのだ。

 

 理屈ではなく生理的に無理。

 

 私がヨシカなら、ニの油の浮いたコンソメスープのような体臭が我慢できなくなる日はそう遠くない。

  

  だから、ラストにかんしては、「え、そうなの? それでいいの?!」とヨシカにもニにも納得のいかない思いが残る。

 

  

思い浮かべる人がいないのは孤独だ。現実の孤独、いまだに同棲さえせずに一人暮らしだとか、週末遊ぶ人がいないだとかに耐えられたのは、頭のなかでは一人ではなかったせいだ。

 

  

 恋をしていないことで孤独を感じているうちは、それを忘れさせてくれるくらい暴走したり、心を埋めてくれそうな誰かと過ごすしかないのかもしれない。

 

 もはや日々の生活に食い込んでくるくらい誰かを想ったり想われたりすることはなく、平穏な孤独でもあるのだけれどそれにも慣れ、「そんなこと(ザ・恋愛)もあったよのう」と隠居暮らしの婆さん化している私にはもうそんな時間はおとずれないだろうけど。